令和8年(2026)あけましておめでとうございます! | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

令和8年(2026)あけましておめでとうございます!

2026年干支・午の武将と馬のイラスト

「ニッポン城めぐり」ユーザーのみなさん、あけましておめでとうございます!!

 

今年は久しぶりに元日ではなく1月2日が初回更新日となりました。ベテラー(ベテランの城めぐりユーザーの略。今思いついた)の方ならばご存知、例年初回更新日はその年の干支にちなんだ戦国エピソードを書き散らかしてやりくりしています。新しい企画の発表とかは一切ありませんのであしからず…。

 

 

2026年の干支は「午(馬)」。過去、これほど戦国時代にゆかりの深い動物はいませんでした。


山内一豊が“内助の功”によって名馬を手に入れた話や、明智秀満が騎乗したまま琵琶湖を渡ったという湖水渡りの伝説、武田家の騎馬軍団や伊達政宗の騎馬鉄砲隊の武勇譚などなど、よく知られたエピソードが山ほどあります。

 

さらには、このお正月に干支の話をする“風習”は12年前には始まっていた模様で、2014年には戦国時代の馬がポニー並みに小さかった、という話もしてしまっています。

 

城郭用語にも「馬出」や「厩」など多くの馬に関係するものがあり、馬を米で洗った白米伝説の話にいたっては、15年前(!)の2011年にすでにしてしまっています。

 

 

さてじゃあ今年は何を書くべきか。新年早々だいぶ頭を悩ませました。

 

2026年の大河ドラマは『豊臣兄弟!』。初回放送も目前に迫ってますので、このドラマの主人公・豊臣秀長が登場する話にしてみましょう。

 

秀長といえば秀吉の名参謀。秀吉のほとんどの合戦に参加していて、秀長が戦に負けたというイメージはまったくといっていいほどありません。

 

がしかし、よくよく思い出してみるとひとつありました。

 

天正6年(1578)、秀吉は織田家から離反した播磨の別所氏を討つため三木城を囲みました。この時、秀吉は三木城を孤立させるため、補給ルートとなりうる支城の攻略にも着手しています。

 

その支城の中に淡河(おうご)城という城がありました。現在の兵庫県神戸市北区にあった城で、アプリの3,000城にも収録されています。

 

当時の城主は、淡河定範。そしてこの城の攻略を任されたのが秀長だったのです。

 

秀長は大軍を率いて城へ迫り、定石通り降伏勧告を行いました。しかし定範はこれを一蹴、さらにそのやりとりの間に「城外で作業をしている」と噂を流してせっせと近隣から牝馬を城に集めました。

 

そして秀長軍が力攻めへと転じたその時、定範は城から大量の牝馬を放ったのです。

 

秀長軍の馬はみな合戦どころではなくなって制御不能となり、指揮官たちは次々と落馬して踏み潰されるなど大パニックに。さらにそこへ城から討って出た淡河勢が襲いかかったために秀長軍は総崩れとなって敗走したのだとか。

 

コンプラ的に詳しい描写は自粛するので、後はみなさんのご想像にお任せします。大河ドラマで描かれることは決してないであろう、秀長ほぼ唯一といっていい負け戦の話でした。

 

 

ま、今日ここに書いた馬エピソードはあくまで全部エピソード、史実かどうかはわかりません。馬耳東風に聞き流してもらえれば幸いです。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 


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