2年前を“忍ぶ” | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

2年前を“忍ぶ”

アメーバブログって、管理画面(ブログを書く画面)に、過去全く同じ日に書いた自分の記事が表示されるんです。

 

その表示を見ることで、「あぁ、●年前の今日はこんなこと書いてたんだなぁー」と束の間の感傷に浸ることができるんですが、先週金曜日(2月22日)、ブログを書き終えた後にふとそこへ目をやると、2017年、つまり2年前に忍者についての記事を書いていたことに気づきました。

 

なんと、2月22日は「忍者の日」だったのです。そんなことはすっかり忘れて、今日リリースされる新機能をアピることに必死でした(꒪ω꒪υ)

 

当時は風魔小太郎のことを主題にしてたようですが、忍者ネタなら他にもまだ色々あるだろうし、さらに言えば、22日は「猫の日」でもあったので、今ならば備中松山城のさんじゅーろーの話もできたろうし、貴重なブログネタをみすみす1回分無駄にしてしまったことは痛恨の極みです。

 

今さら過ぎたことを言っても仕方ありませんが、せっかくなので数日遅れの忍者時事ネタを1コだけ。2月22日から、三重県伊賀市の伊賀鉄道上野市駅が「忍者市駅」という愛称になったそうです。(“忍者の日に「忍者市駅」と「忍者線」伊賀に登場” 読売新聞より)。

 

上の記事によると、駅の看板まで「忍者市駅」になってるので、その本気度の高さが伺えます。それもそのはず、伊賀市では2年前に「忍者市」を宣言し、積極的に忍者を使った観光PRを行なっているのです。

 

一方、「忍者市」というキャッチーな宣言を先にされてしまい、伊賀と一対に語られることの多い甲賀では、さぞ歯噛みしていることと思いきや、今や日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」として、しっかりタッグが組まれておりました。

 

「城」という観点から見ると、戦国時代には伊賀・甲賀は土豪同士が自治共同体のような連携を持ち合議で国を治め、それぞれの氏族がみんな自前の城館を構えたことから、無数の城が築かれた特殊な地でもあります。

 

特に甲賀では、それらの共同体が甲賀郡中惣と呼ばれ、長らく権力から独立した勢力を築き上げました。一説には甲賀郡だけで300近く(!)もの城があったとか。

 

このような横並びの共同体がゆえに、土豪同士の争いも絶えなかったわけですが、いざ外敵や権力層からの攻撃があった時には一致団結して戦ったと言われます。小勢力が割拠したことでゲリラ的な活動も活発となり、それが周辺の山々の修験者たちと結びつくなどして、“忍びの者”が生まれる素地ができたのでしょう。

 

漫画や時代劇で華やかなイメージとなった「忍者」も、伊賀衆・甲賀衆と呼ばれた地侍たちが、生き残りのために泥臭い諜報活動を行なった歴史がバックボーンにあると思えば、また違った見え方がしてくるかもしれません。

 

で、「結局、忍者の日でもなんでもない日に忍者の話してるやん(;-∀-)!!」というツッコミが聞こえてきそうなので、わたくしこのあたりでドロンさせてもらいます。

↑ちなみに、このオチの付け方も2017年2月に既に使ってます。

 

 


ニッポン城めぐり まとめ記事

 

凸 無料で全国3,000城をスタンプラリー!!
ニッポン城めぐり」 はここからGET↓



凸 戦国武将40人がLINEスタンプになった!
「戦国武将コレクション」 はここからGET↓