【根白坂の戦い(2017年12月)】論功行賞と必要最低軍功
Photo by Jnn [CC BY 2.1 jp, CC BY-SA 4.0-3.0-2.5-2.0-1.0, FAL or GFDL]
今日で恐らく最後の事前告知になるであろう合戦イベント「根白坂の戦い」。次回金曜日のブログが更新される頃には既に開戦しております。
本日はお待たせしました、論功行賞などの発表となります!
さっそく論功行賞をみてみましょうヾ( ´ー`)
【根白坂の戦いの論功行賞】
★全参加者
参戦者全員に、「3万貫」を贈呈!
■勝利軍
勝利軍全員、家臣団コレクションβで「亀寿」の登用が可能に!
■勝利軍軍功第一の部隊
勝利軍軍功第一の部隊全員に、「茶道具」「物見」「龍勢」を贈呈!
■個人の軍功ランキング
各軍軍功上位1~20位までの方へそれぞれ所定の両を贈呈!
■最低必要軍功
800
以上の通りとなっております!
今回の合戦では、いずれの軍が勝利しても「亀寿(かめじゅ)」という姫が登用可能となります。この亀寿は、島津義久の三女で、まさにこの根白坂の戦いの後、義久が降伏の証(人質)として秀吉のもとに送った女性なのです。
冒頭の写真は、鹿児島の仙巌園の中にある鶴嶺(つるがね)神社ですが、亀寿はここに祀られています。この神社にある説明板には...
~たいへん美人であったとも伝えられています。『薩摩旧伝集』に、秀吉は、亀寿姫があまりにも美しいので、はじめは偽物ではないかと疑いましたが、落ち着きはらった態度を見て本物に違いないと判断したという逸話が記されています。
とあり、この鶴嶺神社に参拝すると心身ともに美しくなれるとして、今では多くの女性が訪れています。なんと、「島津美人御守」なるお守りまで売られているとか(゜□゜)/
亀寿は人質生活の後、義弘の子・久保と結婚しますが、久保が若くして病死。ついで忠恒(後の家久)と結婚するも、忠恒とは不仲だったらしく、かなりの嫌がらせを受けていたようです( ̄_ ̄ i)
そんな苦難の人生だった亀寿も、その法名「持明院(様)」から地元では「じめさあ」と呼ばれ、鹿児島市立美術館の一角には亀寿のものとされる石像もあります。石像は、毎年命日である10月5日に化粧直しが行われ、今も人々に親しまれています。
亀寿姫の説明を書いていたらずいぶん長くなってしまいました。ご興味ある方は深掘りして調べてみて下さい。合戦まであと2日ですが...( ̄▽ ̄;)
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