本当は二段階あった!?三成の東軍迎撃構想
現在絶賛開催中の地域限定城めぐり第四弾「石田三成、幻の東軍迎撃作戦」。スタンプラリーの対象には、三成が東軍を迎え撃つための拠点として取り立てた濃尾国境の城郭を中心に、20城が選ばれています。
ただ、タイトルも“幻の”となっているだけあって、この迎撃作戦は結果としてうまく機能しませんでした。その経緯は後ほど説明するとして、そもそも三成はこの濃尾国境ラインより前段階に、尾張と三河の尾三国境ラインで東軍を迎撃する予定だったと言われます。盟友佐竹義宣に送った書状でも“(家康を)尾州三州乃間にて討ち果たすべく”、とその決意を述べています。
実際に、伏見落城後の西軍の動きとして、三成らは佐和山から美濃大垣方面へ進出、宇喜多秀家らは伊勢湾沿岸の松坂城や安濃津城を攻略しながら北上、それぞれ尾張方面への進出をうかがっていました。
しかし、上杉征伐で東国に釘付けにされると思われていた東軍のうち、福島正則ら率いる先鋒が予想を上回る速度で尾張清洲城に到着したことから、尾三迎撃ラインは実現することはありませんでした。
一方、次善の策である濃尾国境での迎撃ライン。こちらは岐阜城が西軍に加担したこともあって完成を目前にしていました。東濃から西濃にかけての城郭、さらには北伊勢方面も宇喜多勢らが着々と制圧していたことで、ちょうど木曽川を境に濃尾平野の東軍を包み込むような状況が生まれつつあったのです。
しかしここでもまた三成の構想は夢と潰えます。6,000を超える兵力を擁する岐阜の織田秀信(信長の孫)が、予想に反して数倍の数の東軍に野戦で挑んで敗北し、堅城岐阜城がわずか1日で落城してしまったのです。
作戦の要とも言える岐阜城があっけなく落ちたことで、東軍先鋒はやすやすと美濃に侵入、またこれと前後して、福束城や竹ヶ鼻城、犬山城なども陥落したことから、濃尾迎撃ラインもまた、もろくも崩れてしまったのです。
三成は東軍が到着する前に強固な城郭ネットワークを構築し、大坂城から毛利輝元、あわよくば秀頼の出陣を仰いで家康と雌雄を決するつもりだったとも言われます。
もし、尾三・濃尾、どちらか一方でも三成の迎撃構想が実現していたら、家康が到着した時どのような展開となっていたか…。
そんな歴史に思いを馳せながら、地域限定城めぐりの20城をめぐってみてはいかがでしょうか。
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