国史跡の新指定
11月21日なのでもう10日ほど前の話になりますが、文部科学省に設置された文化審議会が富山県高岡市の高岡城跡(高岡古城公園)を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。これによって、安田城跡(婦中町)、増山城跡(砺波市)に続いて富山県内では3件目の国史跡の城跡が誕生する見通しです。
長文ですが、文化庁の報道発表からその答申理由を引用すると…
“高岡城跡は,加賀藩主を隠居した前田利長が,自らの新たな隠居城として,また,加賀藩の東の拠点として,慶長14年(1609)に築城した城跡であり,富山県高岡市の中心部,小矢部川庄 川とに挟まれた高岡台地上に位置する。利長は慶長10年(1605)家督を弟利常に譲った後も利常の藩政を支えていたが,同14年(1609)居城である富山城が焼失したため,新たな居城として高岡城を築造した。同19年に利長が没し,翌元和元年(1615)一国一城令により高岡城は廃城となったが,その後も藩の米蔵,塩蔵が置かれ,維持管理された。明治維新後は公園として整備されて今日に至った。城の規模は長辺648m,短辺416m,その縄張は「聚楽第型」とも呼ばれるもので,中央に巨大な本丸を設け,西側を除く外側の3面に整然と馬出郭を配する点に特徴があり,周囲に堀を巡らし,各郭の形状は直線的な方形を基調とする。高岡市教育委員会による発掘調査によって,本丸御殿に関わる礎石や石組み遺構を検出する等,遺構が良好に遺存していることが確認された。近世初頭の政治・軍事の状況や築城技術を知る上で重要である。”
ということだそうです。確かに高岡城ほどの史跡であれば、むしろ今まで国指定でなかったことが不思議に思えてきます。
冒頭の写真を見てもらえばわかるとおり、高岡城跡は今もなお高岡古城公園として高岡市の市街地の中にドカーンとその姿をとどめています。
その広さはなんと東京ドーム4個半分(!)だとか( ̄Д ̄;;
築城の際に現場担当者が、「利長さん、あのー確認なんですけどここって“隠居”用ということでよかったんですよね?」と再確認したとかしてないとか言われるほど巨大な要塞です。
自分もこんなビッグな隠居生活ができるように頑張って働こっと(TωT)
<追記>
城関連で言うと高岡城跡の他にも、「本證寺境内」が国史跡に、「水郷柳河」が国名勝、「大溝の水辺景観」が重要文化的景観に、それぞれ答申されています。
長文ですが、文化庁の報道発表からその答申理由を引用すると…
“高岡城跡は,加賀藩主を隠居した前田利長が,自らの新たな隠居城として,また,加賀藩の東の拠点として,慶長14年(1609)に築城した城跡であり,富山県高岡市の中心部,小矢部川庄 川とに挟まれた高岡台地上に位置する。利長は慶長10年(1605)家督を弟利常に譲った後も利常の藩政を支えていたが,同14年(1609)居城である富山城が焼失したため,新たな居城として高岡城を築造した。同19年に利長が没し,翌元和元年(1615)一国一城令により高岡城は廃城となったが,その後も藩の米蔵,塩蔵が置かれ,維持管理された。明治維新後は公園として整備されて今日に至った。城の規模は長辺648m,短辺416m,その縄張は「聚楽第型」とも呼ばれるもので,中央に巨大な本丸を設け,西側を除く外側の3面に整然と馬出郭を配する点に特徴があり,周囲に堀を巡らし,各郭の形状は直線的な方形を基調とする。高岡市教育委員会による発掘調査によって,本丸御殿に関わる礎石や石組み遺構を検出する等,遺構が良好に遺存していることが確認された。近世初頭の政治・軍事の状況や築城技術を知る上で重要である。”
ということだそうです。確かに高岡城ほどの史跡であれば、むしろ今まで国指定でなかったことが不思議に思えてきます。
冒頭の写真を見てもらえばわかるとおり、高岡城跡は今もなお高岡古城公園として高岡市の市街地の中にドカーンとその姿をとどめています。
その広さはなんと東京ドーム4個半分(!)だとか( ̄Д ̄;;
築城の際に現場担当者が、「利長さん、あのー確認なんですけどここって“隠居”用ということでよかったんですよね?」と再確認したとかしてないとか言われるほど巨大な要塞です。
自分もこんなビッグな隠居生活ができるように頑張って働こっと(TωT)
<追記>
城関連で言うと高岡城跡の他にも、「本證寺境内」が国史跡に、「水郷柳河」が国名勝、「大溝の水辺景観」が重要文化的景観に、それぞれ答申されています。




