華麗なるプロフィール | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

華麗なるプロフィール

目下天空の城として売り出し中の越前大野城に、昨日待望の雲海が発生したそうです。その様子はTVでも繰り返し報道されるほどで、もはや雲海パワーのポテンシャルは超高校級なのです(( ;゚д゚))
 


さて、そんな話題の越前大野城、人々の興味は雲海が出るか出ないかの一点に尽きます。いつ誰が建てたかなんてことは、まず話題に上ることはありません。

しかし、城めぐりユーザーであればこれはぜひ知っておいて頂きたい事案であります( ∵)/
大野城を築城したのは、戦国時代のメインイベントにことごとく関与しているにも関わらず、一般的にはおそらく地味なベールに包まれている、いや、それどころか知らない人の方が多いかもしれない金森長近(ながちか)です。

長近は信長に仕えて、古くは桶狭間の戦いをはじめとして、美濃攻略、上洛戦、長篠の戦いなど主要な合戦にはだいたい参戦してます。そして、越前一向一揆討伐での戦功により越前国大野郡を与えられ、越前大野城を築城したのです。

ちなみにその後の長近はというと、本能寺の変で嫡男を失い、賤ヶ岳では柴田勝家に属して敗戦を経験するものの、その後は秀吉に仕えて飛騨一国を攻略。新たな拠点として飛騨高山城萩原諏訪城増島城などを築城します。

さらに、秀吉没後は関ヶ原で東軍に与して飛騨での地盤を確固たるものとすると、自身はその城下町が“うだつの上がる町並み”として有名な小倉山城を築いて隠居。千利休に指南を受けたともいわれる長近は茶の湯にも造詣が深く、隠居後は茶の湯三昧だったであろう悠々自適な生活を送り、85歳で天寿をまっとうするのです。

こんな華麗なるプロフィールの持ち主でありならがら、築城の名手としてスポットライトを浴びることもなければ利休七哲にも数えられない長近さん。同じ“ながちか”でも、のぼうの城の影響で成田“長親”の方が先に有名になっちゃいましたが、文武両道で、天下人三人に長く仕えて家名を残したという経歴は、雲海に勝るとも劣らぬポテンシャルを秘めているといっても過言ではありません。

いつか、越前大野城のように全国的に有名になる日が来るかもしれません。
 


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