天皇誕生日 | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

天皇誕生日

今日から三連休で城攻略に出陣される方も多いかと思いますが、わたくしはと言うと世の中のクリスマスで盛り上がる雰囲気を本能的に回避しようとしているらしく、何の予定も決まっておりません(_ _。)

 

さて、前回のブログで祝日がどうしたこうしたと愚痴っておりましたが、今日は何の日かご存知でしょうか。そう「天皇誕生日」です。最近、とある本を読んだ影響もあり、自分が歳を重ねたせいもあり、皇室の尊さをしみじみと感じるようになってきました。

 

 

そんな「天皇誕生日」には、毎年「天皇誕生日一般参賀」というのが行われます。どこで行われるかというと、もちろん皇居です。皇居が江戸城跡一帯にあることは言うまでもないかと思いますが、ではなぜ皇居が江戸城跡にあるのかということは意外と知られていないかもしれません。

 

 

Wikipedia から部分的に引用すると…

 

“すでに大久保利通は正月下旬の時点で、京都には旧弊が多いとして大阪遷都論を政府へ提出し、木戸もこれに強く賛同している。これには公家などから反対が多く、結局大阪親征行幸の実行に留まったが、大久保・木戸らの間で遷都論は燻り続けていた。そんな中、江戸城が無血で新政府の管轄に入ったことは、遷都先として江戸が急浮上することに繋がった。

9月8日、年号が明治と改元されると、同月20日明治天皇が東京(7月に江戸から改称)行幸に出発し、10月13日に江戸城に到着。同時に名を「東京城」と改められ、東幸の際の皇居と定められた。幕府のシンボルであった江戸城に天皇が入ることで、天皇が皇国一体・東西同視のもと自ら政を決することを宣言するデモンストレーションともなった。この後、再度の東幸が行われるとともに、首都機能が京都から東京へ次々と移転。事実上東京が首都と見なされるようになり、東京城はやがて「宮城」(戦前)「皇居」(戦後)と呼ばれるようになったのである。”

 

ふむふむ勉強本。太田道灌によって1400年代に築城された江戸城には、北条氏や徳川氏の支配を経て、幕末から明治にかけてこんな歴史があったんですねぇ…。

 

 

最近では信号機がないことからその周辺がかっこうのジョギングコースになっている江戸城ですが、そんなお堀の周囲を走る人々にもぜひ知って頂きたい歴史を学びました。

 


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