元寇
城めぐりでは、福岡県に「元寇防塁(げんこうぼうるい)」という四字熟語のような城郭が収録されています。
そう、学校で習いましたね。鎌倉時代、モンゴル帝国(元)が日本に攻め寄せた「元寇(蒙古襲来)」の際に博多湾沿岸に築かれた防塁です。
元寇は2度あって、それぞれ文永の役、弘安の役と呼ばれてます。1度目の文永の役ではいわゆる神風が吹いて元軍が壊滅したと言われますが、元寇防塁は元軍の再来に備えるために構築され、実際に2度目の襲来の際には大いに役に立った立派な防塁です![]()
で、なんでいきなりそんな話をしたかと言うと、昨日、長崎県松浦市にある鷹島沖で、この弘安の役の時に沈んだとみられる元の軍船が発見されたというニュースが流れました。
発掘を行っているのは琉球大学の池田栄史教授らの研究グループで、これまでにも元軍の船材の一部や石製の砲弾などの遺物が見つかっていた場所で、今回、船底の背骨にあたるキール(長さ15m、幅50cm)と、その周辺の船底などの板が多数見つかったということです。しかも、原形をとどめた元軍の船体がまとまって見つかったのは初めてらしいです。これはすごい\(゜□゜)/
なにせ、この弘安の役の際に攻め寄せた元の軍船は4400隻というから、来すぎです。そして、この船団が鷹島沖に集結しているところに暴風雨が起こり、その大半が沈没したとか…。ということは、実際には何千隻沈んでいるのやらという状況です。
元寇はイメージ的に2度とも神風に救われて助かった感がありますが、実際には鎌倉時代の武士達の奮戦と防塁のおかげであることも最近ではクローズアップされつつあります
。大軍にひるまずに日本を守った当時の男たちに感謝です。
そして、私も神風に頼らずに頑張って仕事していこうと思います…(;´Д`)ノ