空腹の籠城 | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

空腹の籠城

すごく個人的な話をしますと、まだ昼食を食べていない状態で、今ブログを書いています(゚Д゚)


兵糧攻めのように、つぎつぎと押し寄せるタスクがわたくしのまわりを包囲して、食事ナイフとフォークに行かせてくれません。

なので、「昔はもっと大変だったんだ」と自分を鼓舞するために、強引に今回のブログのテーマを決めました。


兵糧攻めと言えば、力攻め(正攻法)と並んで、もっともポピュラーな城攻め方法のひとつですね。

ひとくちに兵糧攻めと言っても、大小さまざまありますが、基本は城の周りをグルっと囲んで、後は待つだけ。です。


大規模なところで言うと、信長による石山本願寺攻めでは、周囲に多数の付城(つけじろ)を築いて何年も包囲してましたし、秀吉による小田原城攻めに至っては、10万以上の軍勢でびっしりと囲んでから、自分たちは嫁さんを呼んでどんちゃん騒ぎビールをしていたという…、もはや一大イベントです。


兵糧攻めで特に凄惨だったのは、やっぱり鳥取城の戦いでしょう。


これも、城を攻めたのは秀吉ですが(秀吉は兵糧攻めがお得意)、すでに城を攻める前から用意周到です。なんと包囲する数ヶ月前から、鳥取周辺の米を倍以上の値段で買い占めていたのです。そりゃみんな売りますね。一部の城兵は、城内の米まで売ってしまっていたとか。


満を持して囲んだ時には、城はすでに兵糧不足の状態で、配給される食糧が、米から大豆・大麦→ひえ・粟→ふすま… となる有様。さらには、犬・猫・ネズミ→雑草・木の根っこを食すようになるのです。


極めつけは、食べ物を求めて城外へ出た者を、秀吉軍が狙い撃つと、その撃たれた者をめがけて城兵が殺到したという話です。そう、食べるためにです....。


結局、その後城主の吉川経家は切腹を条件に降伏しますが、その後、振る舞われた粥を、栄養失調状態の城兵が急いで大量に食べたことによって、さらに100人近くが亡くなりました。


あまりにも悲惨でかわいそうな話ですダウン


ぜいたくは言っていられないので、頑張って仕事に戻るとします…。