【籠城戦】戊辰戦争最後の決戦、五稜郭の戦い | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

【籠城戦】戊辰戦争最後の決戦、五稜郭の戦い

幕末クイズも明日で終了です。


戦国に脳の容量の大半を使ってしまっているわたくしにとっては、もはや難問です。誰も教えてくれないので、自分で調べて解答してます。(当たり前かDASH!


さて、今回は籠城戦にしようと思い、どの城にしようかターゲットを探していましたが、せっかく幕末クイズやっている期間なんだから、ということで、五稜郭をテーマにしてみました。


五稜郭と言えば、何日か前のクイズにも出てきましたが、城めぐりの中でも幕末期のものとしては恐らく最も有名なので、その歴史をこの際だから学んでしまいましょう、という魂胆です。


なので、今回はピンチヒッターとして社内の幕末マニア(orオタク)が代筆ですメモ


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戊辰戦争最後の決戦、五稜郭の戦い
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坂本龍馬も尽力した薩長同盟や大政奉還・王政復古を経て成立した薩摩藩・長州藩を中心とする明治新政府。


その明治新政府が江戸幕府側と戦い、これに勝利したのが「戊辰戦争」と言われる一連の戦いである。


戊辰戦争は、単に明治新政府が江戸幕府を滅ぼしたというだけで無く、江戸時代の幕府と大名による連邦国家という形態から明治以降現在まで続く中央集権国家となるという、日本という国の枠組みが大きく変化する、我が国の歴史でも非常に重要な戦いであった。


この戊辰戦争最後の戦いであったのが箱館戦争、五稜郭の戦いである。


旧幕府の海軍戦力は、新政府軍が江戸を占領した後、本来であればすべてが新政府に引き渡される事になっていた。


だが、新政府の徳川家に対する処置に不満を覚えた幕臣であり海軍副総裁でもあった榎本武揚ら抗戦派は一部の軍艦で江戸を脱走、北へと逃れた。途中、新選組副長であった土方歳三らを戦力として加え、蝦夷地を目指す事となった。


この時、五稜郭には既に新政府によって箱館府が設置されており、箱館府知事も五稜郭に入っていたが、箱館府の戦力は少なく、箱館府知事であった清水谷公考は五稜郭を放棄した。
その後、旧幕府軍は五稜郭へ入城、箱館を占領した。


だが、蝦夷地すべてが旧幕府軍によって平定された訳では無く、松前城を本拠とする松前藩が新政府側として旧幕府軍と対峙していた。


これを滅ぼすことを決意した旧幕府軍は、土方歳三を総督とした勢力を松前城へ向けて派遣、陸からの攻撃と海からの艦隊による砲撃で松前城は落城した。


更に、松前藩主・松前徳広が篭もる館城も落とし、旧幕府軍は蝦夷地を平定する。


この後、松前徳広は蝦夷地を脱出し津軽へ向かうが、上陸後すぐに肺結核により死亡、松前藩士らはこの後、軍装の下に喪服を着用して戦うなど、藩主を死に追いやった旧幕府軍への反感は大きかった。


蝦夷地を平定した榎本武揚らは、俗に言う「蝦夷共和国」を樹立して新政府軍へ最後の抵抗を行うこととなった。


だが、蝦夷地平定の過程で軍艦2隻を座礁によって失うなど、海軍力が弱体化していた旧幕府軍は海の守りを強化するために新政府軍の軍艦・甲鉄艦を奪取を計画するが失敗し、新政府軍の上陸を許すこととなる。


その後、箱館を中心とする旧幕府軍に対し、新政府軍はまず江差近辺に上陸。海からの砲撃によって江差奉行であった松岡四郎次郎らは松前方面に後退した。


これによって江差を確保した新政府軍は、松前・木古内・二股の3つのルートから箱館へ向けて進軍を開始した。


松前口の新政府軍は、松前城奪還へ燃える松前藩兵を先方に進軍を開始。艦砲射撃の援護を受けた陸兵は松前城を奪取した。


木古内口では、陸軍奉行であった大鳥圭介が指揮する旧幕府軍が奮戦したが、数千人規模の部隊で迫る新政府軍に対し、最終的には総崩れとなって箱館へ敗走した。


二股口では土方歳三が守る二股口台場が不敗の陣として新政府軍の侵攻を阻んだ。

300名で守る旧幕府軍に対し、新政府軍は700名の勢力で攻め立てるが16時間に及ぶ激戦でも台場を抜くことが出来ず、弾薬が欠乏した新政府軍は一度撤退する。

その後、兵力を増強した新政府軍は、引き続き攻め続けるものの旧幕府軍の抵抗は激しく、遂に戦闘によって二股口台場が落ちる事は無かった。

だが、各地の旧幕府軍拠点が次々と陥落する状況で、二股口と箱館を結ぶルートが塞がれ、退路を断たれる恐れが出たために、榎本武揚から撤退命令が出され、旧幕府軍は箱館に撤退することとなった。


陸から新政府軍が箱館に迫る中、海上でも旧幕府軍は厳しい状況に置かれていた。


既に豊富とは言えない旧幕府軍の海軍勢力であったが、座礁や故障も発生、特に海戦によって主力艦である回天が運行不可能となり、新政府軍が制海権を握ることとなる。


五稜郭から箱館にかけての範囲に勢力を縮小し、制海権も失った旧幕府軍に対して、新政府軍は遂に総攻撃を開始した。


海上からは艦隊が陸軍援護の艦砲射撃を行い、陸軍は五稜郭を目標とする正面攻撃のほか、箱館山背面からの奇襲攻撃も用意し、一気に箱館に迫った。


劣勢であった旧幕府軍は、箱館湾での海戦で敵艦を撃沈する快挙を機に反撃に転じるものの、物量の差は如何ともしがたく、やがて新政府軍の攻撃に押し戻された。


そして遂には箱館市中は新政府軍によって制圧され、土方歳三も銃弾を受けて死亡、旧幕府軍は組織だった抵抗を行う事が困難となり、各陣地の籠城戦へと移行する。


この時点で旧幕府軍の陣地は五稜郭、千代ヶ岡台場、弁天台場のみとなっていた。


その後、新政府軍は引き続き五稜郭などの幕府軍陣地に艦砲射撃を浴びせる一方、終戦調停を開始した。


残る陣地の中で五稜郭から最も離れており孤立していた弁天台場では、箱館奉行の永井尚志が再三の申し入れに降伏を決意した。


中島三郎助が指揮する千代ヶ岡台場は新政府軍からの降伏勧告、五稜郭からの退去勧告も拒絶し、全員が戦死した。


ここに至り弁天台場と千代ヶ岡台場を失った五稜郭は遂に降伏を決意。


五稜郭は開城し箱館戦争ひいては戊辰戦争がここに終結することとなった。


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いかがでしたでしょうか。あんな綺麗な五稜郭に、こんな壮絶な歴史があったんですね。


幕末幕末でも、かなり「」の方の話でした。



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