久しぶりになってしまいました。

 実際の検討会は7月に第4回が開催されることが決まったので、野中教授の話の内容だけでも完結にしておかないといけません。今回は、厚労省も議事録を公開していましたので、そこから引用させていただきます。


「実際の業務は大きく2つの業務がある。ケアマネジャーはケアマネジメントだけ出来れば良いわけではない。医者も医師の仕事だけをしているわけではなく、自分が生きていく、医院や病院を運営している。看護師の人材管理もしている。しかも、実務は応用。地域によって状況は全然違い、沖縄の離島と東京の世田谷では全然違う条件の中で、同じ法律の制度を動かすというのは無理。機関、組織を運営するお金、マネーマネジメントも必要。職員の人材管理、ヒューマン・リソース・マネジメントも必要。その地域のコミュニティで資源を増やしていくというコミュニティマネジメントも必要。」


現状の居宅介護支援事業は、たの介護保険サービスと併設されていることが殆どだということです。大きな組織に雇用され、ケアマネジャーをしていると、稼働率のことばかり言われて業務がままならない。といったような不満も出るかと思います。

しかし、もし居宅介護支援事業が単独経営でなければ出来ないとしたら・・・

当然自身で経営や運営のことも責任をもって考えなければならなくなる。

ケアマネジメント業務に専念したいとなると、事務員を雇用し、その人件費も捻出しなければならない。

そうなれば、介護報酬収入以外に収入を得られる方法を考えなければならない。

併設であれば気持ちは楽なのかもしれませんが、それでは様々な意味でレベルが低いままなのかもしれません。



 「(野中教授が作成した)「作業指標」で、ケアマネジメントプロセスのどの点を知っているのか、知らないのか、実行しているのか、していないのかを自己評価で調査したところ、アセスメント、プランニングあたりまでは結構伸びているが、その後になると途端に何も知らない。それは、現在の研修会がアセスメント・プランニングしかしない。モニタリングまでは、誰もしないので、結局、実務者は知らないまま動いている。だから実際、モニタリングもエバリエーションも実行していない。でも、不思議なことに、モニタリングは実行していることになっている。加算制度が効いている。このように、形式だけで動いてしまうから能力としては落ちてしまうという悪循環に入っている。」


 現在の実務研修では、アセスメントさえも自己学習になり、プランニングに集中されている。確かにプランニングは保険給付の要になるので大事かもしれないが、居宅サービス計画に介護保険のサービスだけを位置づければ良いという誤った解釈を広めている。

 本来はアセスメントによって必要性が明らかになるものでもアセスメントに必要性が記載されず、居宅サービス計画に必要性を記載するといった誤った指導がなされることもある。モニタリングもまた、厚労省が定めている満足度や目標達成度、プラン変更の必要性などを形式的に書いているだけのモニタリングで指導が通ってしまう。


 この行政の指導を主体としたケアプランのあり方が、日本のケアマネジメント衰退に拍車をかけなければ良いがと思ってしまう。



「現在の段階における諸問題。受理の作業では判断ができなかったり、ケアマネの対象だということも判断ができなくて、本来は救急車の対象だったり、本来はもっと法律上の問題だったりする人でも、来たらそのまま受けてしまう。受理の判断ができない。

 それから、査定、アセスメントでは、ストーリーができない。「60歳・脳卒中」といったらみんな同じになってしまう。個別性がなく、コピー&ペースト。

 計画ではクリエイティビティーがない。創造性がないから、自分の家族だったらこんなプランでやるのかというようなことを平気で書く。それから、討論する力がない。途中で医者が出てくると、もうそのまま医者の言うとおりになってしまう。せっかくそこまで自分で考えたのだったら、ちゃんと議論しなさいよというぐらい、プランに対する責任性とか自信がない。

 介入では、直接介入のところでは本人のセルフケア能力を教育しなければいけない、本人に対して働きかけなければいけないのを省略してしまう。それから、間接介入の能力がない。ケアマネジメントは殆ど間接介入の技術のはずなのに、間接介入能力がない。マネジメントとか、交渉するとか、先ほども言ったプレゼンテーション、提案する、説明する、そういう能力の研修がないから。それから、モニタリングはされていない。指標設定しないといけないが、例えば糖尿病が良くなったのか、悪くなったのかというのは、FBSや、グリコヘモグロビンA1cをチェックしていくが、ケアマネジメントのプロセスをチェックする指標は何だといっても、誰もわかっていない。評価作業などでは評価の意義が伝わっていないから、初めからやっていないという状況。」


 コピー&ペーストという言葉が胸に突き刺さります・・・

 アセスメントの視点に広がりがなければ、結果的にどの計画も個別性が見られないということになってしまう。

 結局、計画書のニーズ欄には、介護保険のサービスしか位置づけられていないからそのようなことになる。なぜ、介護保険サービスしか位置づけられないかというと、介護保険サービスを位置づけないと介護報酬が支払われないし、減算規定に引っかかるから。ニーズや目標が多くなると、モニタリングが大変だから。介護保険サービスしかモニタリングをしていないから新しいニーズに気付けなかったりし、大きな問題になってから調整に慌ててしまう。それが現状なのだと思います。



「ケアマネジメントは実践しないと意味がない。実践するというのは、もう一つプラスアルファの難しさがある。肥満がわかっていて、ダイエットするのは良いとわかっていても、それを実践するというのはとても難しい。だから、実践するための要因の研究がされている。

 それでいくと、一人のケアマネジャーだけを訓練して助言しただけでは、まず足りない。やはり、どれだけの人を配置するのか、どれだけのスーパービジョン体制をつくるのか、どれだけ研修に金をかけるのかという、そうした対策なしには、ケアマネジャーだけを責めていても問題は解決しない。

 更に、組織文化というのがある。ケアマネジメントは、実は西洋文化。だから、突然和風の文化の中に「契約概念」が入ってきた。文化が違うところに新しい文化を入れるときには、相当に意識しないと難しいということを覚悟して、それをリーダーシップ、国と自治体が相当念入りに計画を立てないと、それは実行に至らない。」


 今はケアプランの説明より、契約や重要事項の説明、介護保険サービスの説明に時間がかかりすぎて、いざアセスメントやケアプランの説明になると利用者や家族が疲れてしまう。「難しい話はいいから、それでサービス使えるんでしょ?」「新しいサービス使うのに一一契約書が溜まって会議をするの?面倒だね?」なんていう家族の言葉を耳にし、「何やってんだろう・・・」と思います。



 「まとめ。ケアマネジメント技術そのものは有効。だから、エビデンス、科学的な証拠も挙がっている。ただ、そのようにやっていないから、ケアマネジメントを形だけやっていてエビデンスはない。やはり、ちゃんと忠実度に沿ってケアマネジメントが行われていなければ、有効性は発揮できない。

 2番目、2000年の時に、我が国は走りながら制度を修正するとお約束したはずだが、結局何も修正しなかった。どんどん悪くなっていくというのが私の感覚。

 3番目、ケアマネジメント従事者はマネジメントしないといけないので、一定の裁量権がないと活動することが難しい。だから、現在よりも高い能力が必要。一部の従事者は、世界レベルよりも上。日本の従事者はすばらしい。イギリスやアメリカのケアマネのトップレベルよりもはるかにトップのケアマネは、日本にいっぱいいる。少数だが。実務者の差が大きくなってきているというのが一番問題。

 4番目、高齢者の介護保険制度に限らないで、普遍的なケアマネジメント技術が今必要とされている。アウトリーチをやる際にケアマネジメントというのは前提条件。アウトリーチはしているけれども、ケアマネジメントを知らないために、ただ訪問しているだけになっているというのが大きな問題。ケアマネジメントの従事者、介護支援専門員は、他の専門職にケアマネジメントを教えてあげられる程度のレベルになっていただきたいなと思う。医者にケアマネジメントを教えられるケアマネになってほしいということね。

 5番目に、ケアマネジメント従事者の要因だけで問題は解決しなくて、定期的な制度の見直し、目的の共有、裁量権の問題、成果評価、報酬額、配置数、資格制度、研修費用等の問題があって、それらによって解決をしていくのだと思う。

 6番目、領域を超えたケアマネジメント技術指導センターが必要。もう既に40万、50万人の資格者がいて、何の技術指導のセンターもないというのは無理。幾らこんな委員会を開いて制度を見直しても、技術自体は伸びない。だから是非とも、現実的な技術指導ができる指導センターを都道府県レベルか、もう一つ大きなレベルで、認知症の研修センターのレベル程度には配置しないと、無理な段階に来ているのではないかなと思う。」


 結論として、ケアマネジャーのケアマネジメントレベルは総体的には低い。だが、レベルの高いケアマネジャーも存在する。

 そのレベルの高いケアマネジャーのもつ技術や知識を基に研修カリキュラムを決めていくことが、ケアマネじゃーの能力格差を縮めていく近道になると思います。

  しかし、、それだけではなく、ケアマネジメントをただの給付のためのツールにするのではなく、ソーシャルワークの要として活用していくことで、ケアマネジャーの存在価値が高められるのだと思います。


今後、もっと自分の中で整理して、私の本当の意味での考察を一度してみたいなと思っています。