「ロルカとフランコ主義の亡霊」【2】 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の 「ロルカとフランコ主義の亡霊」【1】 の続きです。

今回は原文の Réveil des associations franquistes で始まる段落から本文の最後までと、本誌では写真の解説となっている複数の短い記事の訳を掲載します。



LORCA ET LES FANTÔMES DU FRANQUISME



(つづき)

PAGES D'ECRITURE-Victimes selon l'arrete de juge Garzon

Réveil des associations franquistes

(フランコ派団体の目覚め)


 バルタサル・ガルソンは、この司法の闘いに身を投じることで、たった一人で、現代スペイン建国の法行為である、1977年の「移行協定」を砕け散らせた。そして、忘却ではなく謝罪を勧めた、2007年のサパテロの妥協による法律を軽視した。ガルソンにとって、誰にも余地はなかった。究極の挑発として、判事はフランコの遺族に、元独裁者を訴追しないためにその死亡証明書を要求する。落胆、または自分の訴訟が決して終わらないことをよく知っている司法官の無力の告白か?いずれにしても彼は、フランコ派の団体を目覚めさせることに成功する。激しく反発し、挑戦的な判事、「魔法使い見習い」に対して訴訟を起こす。国家は、彼が「自我と広告の必要を満たす」ために内戦の亡霊を活気付けたと非難する。国家はまた、彼を背任、別の言葉で言えば、個人的な目的のために手続きを逸脱させたとして訴追する。非常に素早く、上層部は彼からこの件を取り上げ、グラナダの「墓穴」の発掘を中止する。ガルシア・ロルカの家族は、立場を決める必要に迫られて、嵐の渦中にいる。

 「私の叔父の墓を暴くことは冒涜になる」と、詩人の甥、マヌエル・フェルナンデス・モンテシノス Manuel Fernández Montesinos は断言する。「フランコが人殺しだったと思うために、裁判官を必要とはしていない。」 ロルカの相続人たちには、マドリードの当局と同様に、一種の強迫観念がある。自らの先祖の名声が、裁判所での歴史的な「vendetta (伊:親族復讐)」のために利用されるのではないかと。「我々はただ、彼が平和に休むことと、他の犠牲者の中の一人のままでいることを望んでいる」と、ドン・フェデリコの姪で、詩人の個人的な文書を管理する団体、ロルカ財団の会長、ラウラ・ガルシア・ロルカ Laura García Lorca は明確に言う。「グラナダで、連中は6000人を銃殺した。発掘の後、我々は彼を、父親の眠るニューヨークで埋葬させることも、母親が埋葬されているマドリードに埋葬させることもできる。しかし我々は、喧騒とメディアの騒ぎから遠く離れたビスナルに留まることを彼なら望んだろうと考える。我々は復讐という考えを拒否する。」 (22年間投獄されていた)存命中の反フランコ派のレジスタンスの最後の一人で、ペドロ・アルモドバルの次の映画の主役、90歳の作家マルコス・アーナ Marcos Ana にとって、法的手段は復讐の問題ではない。「何よりもまず、この何万人もの無名の死者に敬意を表さなければならない。共和国側が残虐行為を働き、教会に放火し、僧侶を殺害したというのは真実だ。しかし、これらの犠牲者を、フランコは40年の間に称賛し、補償した。我々はフランコ派に殺された共和国の擁護者のために同じことを要求しているのだ・・・」

 ガルソンは蚊帳の外で、サパテロが推奨する行政的手段が残る。記憶のための協会は、そこでアンダルシア政府に押しかけ、同政府は結局譲歩する。この秋、発掘を命じる。ビスナルの発掘地区のすぐ近くで、同僚の考古学者がガルシア・ロルカの遺骨を必死に探している間、一人の男が待ちかねていらいらしている。『血の婚礼』の作者の遺骨を回収しそのDNAを現在の子孫と比較する任務に就いた、グラナダの遺伝子同定研究所の主任、アントニオ・ロレンテAntonio Lorente 教授は心配する。FBIの常任協力者でもあるこの研究者は、数年前、作業していた… クリストファー・コロンブスの遺骨について。しかし今回、待ち時間は長い、非常に長い。考古学者は何も見つけない。緑の防水シートの下には、砂漠があるだけか?そしてもし、誰かが嗅ぎつけているように、ロルカの死体が移動されていたとしたら? もし、1936年秋、彼の処刑の発表に対する国際社会の反響の大きさを前にしたファランヘ党員が、死体を掘り返しどこか他所に移していたとしたら?誰にも痕跡を見つけられないように。歴史家や、その証人たちが、何メートルか間違えているのでないとしたら? この地区では、殺害された共和国側の数千の亡霊が、考古学者とその地下レーダーの訪問を待ちながら、石の間を彷徨っている。光り輝く静かなシェラネバダ Sierra Nevada を背景にして。ロルカを、安らかに休ませたままにしておくべきか?オリーブ畑とアンダルシアの広大な風景の中で風に揺られて。そして、1960年に「涙の泉」を巡礼した際にマルグリット・ユルスナールが書いたように、誰も「詩人にとって最も美しい墓を想像」できなかったとしたら。


SERGE RAFFY
(avec Sandrine Morel)




Emilio Silva

「フランコ独裁体制の墓穴」の全てを記録に残す任を負った、歴史記憶回復協会の会長、エミリオ・シルバは、インターネットのおかげでスペインの有名人となった。彼の協会は夥しい数の競争相手を作り、2007年の記憶に関する法律を可決させるように政治家たちを後押しした。


Ian Gibson

アイルランド出身のスペインの作家でロルカの伝記作家、イアン・ギブソンは20年以上前から、アンダルシアの詩人の死に光が当てられるために、闘っている。彼は絶えず死の脅威にさらされ、彼を「淫売の息子」扱いしたり、「国から出て行け!」と要求したりする匿名の手紙を受け取っている。


Le général Franco

40年の独裁体制の間、フランコ将軍は、自らの支持者が犯した殺害の証拠を消すことができた。しかし、多数の殺害は1936年から1939年までに共和国陣営でも組織されていた。数万の宗教家を含む、10万人近い犠牲者。「赤色テロ」対「白色テロ」である。


Baltasar Garzôn

アウグスト・ピノチェトを裁判にかけた司法官、バルタサル・ガルソンは、大急ぎでロルカ事件を独占して、上層部の怒りを買った。彼は汚職の容疑で訴追されている。マドリードの最高裁は、2010年初めに彼の事件について決定を出すはずである。この司法官は記録にある43の共同墓地のうち、19の墓穴の発掘を命じた。


Laura García

詩人を安らかに休ませておくべきか?彼の姪、ラウラ・ガルシア・ロルカは、銃殺された後に彼が埋められた共同墓地が、「ロルカの」ルナパークのような物になるのではないかと恐れている。


Le Nouvel Observateur 2355-6 24 DÉCEMBRE 2009-6 JANVIER 2010


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2355/articles/a415567-lorca_et_les_fant%C3%B4mes_du_franquisme.html