ある英国人作家の観た日本(Obsの記事)【1】 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

週刊誌Le Nouvel Observateur の最新号(2008年2月21-27日、通巻2259)には、日本在住の英国人作家デイビッド・ピース David Peace の、日本に関する対談が掲載されています。

日本では、『Tokyo Year Zero』 (文藝春秋) という著書が発売されています。


『日本の英国人』

Un Anglais au Japon

par David Peace



15年前から東京で生活する英国の新推理小説の大家は、敗戦による心の傷と今日の日本の曇った記憶を探求する。



Shanghai, 27 novembre 1937. Incendies apres le b


Shanghai, 27 novembre 1937. Incendies après le bombardement japonais et la conquête de la ville (1937年12月27日、上海。日本の爆撃と都市の占領後の火災)


Le Nouvel Observateur. – 戦後の日本に捧げられた3部作の第1部、『TOKYO YEAR ZERO』は、日本で大きな成功を博しました。あなたは15年前から日本に住んでいます。一人の英国人が書くも異なる国をどのように理解できたのでしょうか?


David Peace
David Peace.
– 日本について書くことが出来ると自分で感じるまでには長い時間がかかりました。頑固な神話によれば、西洋人がこの国を理解するのは困難だということになっています。平行して、日本の政府とメディアは国民に、その文化は独自のものであり、したがって国外に浸透できないという考えを永続させています。確かに、日本文化は独自ですが、他の文化以上というわけではありません。私にとっての最大の問題、それは私が基本的にキリスト教文化の生まれだということです。したがって贖罪というテーマは私の本の大部分で中心的です。しかし、日本の多くの小説を読み、多くの映画を観て、受け入れられている考えとは逆に、日本人は現実に、良心と罪悪感を持っていることを発見しました。日本文化では、亡くなった先祖に対する尊敬が、西洋文化における罪悪感に同等のものに相当します。日本人は先祖の記憶に対して恥となることを望みません。我々が懺悔の源となることをしたがらないのと同様に。執筆のある段階で、この視点を身につけるにいたったことを自覚しました。


N. O. あなたの著作には主題として純真さとその敗北があります。日本の敗戦と広島の破滅の翌日を描いています。そして、あなたは日本の傷に塩を塗っています!日本人はそれを容易に受け入れましたか?

D. Peace. – 日本人はこの言及が哀れみの徴であると理解したように私には見えます。私が心配なことは、日本が日本人の犠牲という角度でしか戦争と取り組まないことです。確かに広島と長崎への原爆投下は残虐行為ですが、侵略者としての日本、中国と朝鮮半島でなされた残虐行為について語られることはほとんどありません。日本人にとって、自己を犠牲者と認識する方が心地よいのです。


N. O. 新しい世代は犠牲者と自任することに固執していますか?

D. Peace. – 非常に複雑な問題です。戦後、共産主義の左翼から右翼まで、それぞれ異なる理由で、自らを犠牲者と認めることを選びました。それはすべて、教育、国家によって課せられた公式の歴史の結果です。若者は基本的に戦争について考えないように努めています。しかし日本が他国と持つ関係は、当面の近隣諸国(中国と韓国)、アメリカあるいはヨーロッパに関して、非常にアンビバレントです。あらゆる国民的アイデンティティーは脆いものですが、日本にとってはなおさらそうです。しかしながら、記事を読んだり、ニュースを見たりする時、現在の問題の大部分はその根源が終戦直後の時代(1945-1946年)にあることに気づきます。当時、アメリカは日本を占領し、現在もなお有効であり、その9条が日本国外へのあらゆる軍事介入を禁止する憲法を認めさせました。ところが、3年か4年前から、アメリカは日本がイラクとアフガニスタンに部隊を展開できるように要求しています。現在の逆説的な状況に至りました。政治的位置づけで極めて右側に位置する日本政府と、アメリカの共和党が憲法を変えたがり、憲法は共産党に擁護されています!私の妻は日本人ですが、義理の家族は、共産党を支持しており、したがって憲法を守るために活動しています!


N. O. 日本の若者はなぜ、ドイツ人の若者のような過去の記憶の作業を成し遂げないのでしょうか?

D. Peace. – この比較は示唆に富んでいます。しかし、日本人に全面的に非があるわけではありません。ドイツはホロコーストの現実を正面から見据えることを強いられました。日本人によって中国で行われた残虐行為は1946年に戦争犯罪のための裁判の対象となり、その結果として複数の将軍が絞首刑になりました。しかし歴史的な理由から、国民的レベルでの記憶の作業はありませんでした。中国は当時、国民党と共産党の内戦によって分裂していました。したがって、イスラエル国家がドイツに対して自国の罪を認めることを要求できたように、日本に罪を認めるように要求できた統一中国というものは存在しませんでした。それから朝鮮戦争が勃発し、日本に自省を免れさせることになります。問題は結局いつまでも解決していません。戦争犯罪に対する裁判では、アメリカ軍は歴史の真実を無視して、残虐行為に対する将軍だけの一味という主張を優先しました。アメリカ合衆国の強迫観念は、日本が共産主義に転向するのを避けることでした。




Propos recueillis par GILLES ANQUETIL et FRANÇOIS ARMANET



(つづく)

出典

LE NOUVEL OBSERVATEUR 2259 21-27 FÉVRIER 2008

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2259/articles/a367057-un_anglais_au_japon_.html


次回 ある英国人作家の観た日本(Obsの記事)【2 】 に続きます。

若者に限らず、「保守」と詐称する年寄り連中などもまた、歴史を正面から見据えることはしません。

2月22日のエントリーに対する ゴルゴ十三 さんからのコメント や、vanacoralの日記 さんからのTB、 イージス艦問題で見える保守派の劣化ぶり にあるような勘違いした老婆の人気が、自称「保守」や極めて右の人々からは高いようです。ドイツに住んでいて、ナチスの記憶に対するドイツ国民の苦闘を知らないのでしょうか。それとも、ネオナチの見方なのでしょうか。だったら、ドイツどころか、EU圏から永久追放されるべきです。(日本に来られても困りますが)



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