わたしが
ミニバスを始めたのは
小学校3年生の時
あの時代は
子供の人数も多くて
同学年だけで20人以上という
本当に大所帯のチームでした。
その中で
ユニフォームを着ることはもちろん
試合に出れるか…
3Q出れる選手になれるか…
仲間だけどライバル
熱があっても
練習中に吐いても走り続ける
殴られても蹴られても
ボールをぶつけられても
椅子が飛んできても…
わたしはバスケに夢中でした。
そして、母になり
わたしも縁あって
同じ指導者として歩き出した頃
かつての恩師と再会
わたしが
指導者になったことを
奥さまと一緒に
それはそれは喜んで下さいました。
『何でも聞きにこい』
『何でも教えてやる』
駆け出しのわたしは
娘を恩師率いるチームに入れ、
1からその元で勉強をした2年
今の葉梨での活動と平行して
本当に様々なことを教えて頂きました。
その後
チームがある程度の力をつけ
忙しくなってしまったため
葉梨での活動一本に絞り
今日までがむしゃらに
やってきました。
そんな私を
指導して下さった恩師が
金曜日の深夜
永眠されたと
連絡が入ったのは土曜日の朝
色々な思いが
込み上げてきました。
親子で
お世話になった大切な方
昨夜
お通夜に行かせていただき
最後のお別れ
そこには
恩師がこれまで見てきた
たくさんの教え子に溢れていました。
バスケを愛し
子供達を愛した
その確かな証を感じました。
72歳
早すぎる別れです。
でも…
こうして
たくさんの教え子に見送られ
旅立つことができた恩師は
きっと
幸せな人生だったのではないでしょうか
恩師の思い
必ず
わたしが引き継ぎます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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