卑弥呼は39年間
ず~と同じ職場で働いていました。

その病院は創立時は軍事病院で
戦争で頭部に負傷したり

戦争に行って
精神を病んでしまった方が
入院する施設として始まりました。

ですから
長い人は終戦前から
入院している患者さんもいて

8月15日の終戦記念日近くになると
NHKが取材に来ていました。

卑弥呼が担当していた患者さんには
こんなエピソードがありました。

戦時中、床に並べてあった拳銃の上を
パっと、またいでしまい

そのことで長官から体罰を受け
脳に酷いダメージを受けてしまいました。

戦争が終わって何十年も経っていて
普段は穏やかにテレビを観ている方なのに

テレビで戦争のシーンがあったり
おおきな物音がしたり
大声が聞こえたりすると

うずくまって
頭を抱えて長官の名前を言いながら
謝っていました。

天皇陛下の映像が流れると
ピシっと立ち上がって敬礼し

この方には永遠に
戦後が訪れる事はありませんでした。



卑弥呼が就職した時は
国立の精神科単科の療養所で

14の病棟があり、ひとつの病棟には
35~40名の患者さんが入院し

それぞれの病棟に

看護師が20~25名配属された
大きな病院でした。

卑弥呼はその14の病棟のうち
結核病棟
慢性男子病棟
急性期男子病棟
慢性女子病棟
神経病棟
合併症病棟
依存症病棟の
7つの病棟を経験しました。

しかし小泉政権下で
国立病院は解体されて
独立行政法人になり


病棟数が半分に減らされて
65歳以上のほとんどの患者さんは
老人介護施設に移る事となりました。

いまでこそ
そういった橋渡しの業務を
専門におこなってくれる
ケースワーカーという専門職が
大勢居ますが

その当時は
1名しかいなかったので

担当看護師が
行き場になる老人介護施設を探し

家族には何度も説明・説得して
移動日には付き添って・・・

ちょうど、世の中は
介護保険制度が確立されて

あちこちに老人介護施設ができ
どこも入所者さんを
募集していた時期だったので

1年以上かかりましたが
65歳以上の入院患者さんを
老人介護施設に
移すことができました。

最後に勤務した
薬物関連精神疾患治療専門病棟には
配属されて14年勤務しました。

その病棟は昭和39年に
麻薬中毒病棟として開棟し

現在は
今の主治医が考案した
唯一無二の治療法を実施していて

治らないと言われてきた
依存症患者さんを治している場所です。

患者さんが入院治療を終え
外来診察に来た時には

「仲間が“お前が止められるはずねぇ、
退院祝いだ”と
目の前に出されたんだけど
俺はもう止めたからいらねぇよ。って
断れたよ。」と


自慢げに報告する姿を
目にする事が出来ます。(^O^)/