病院へつくと、母が医師に 夫の暴力でこのような状態になった事、


一人で食事にやって来た婿の様子が いつもとは違うのでおかしいと


思い、娘夫婦の家へ行ってみると 家中のガラスが割れて風が


ビュウビュウと入りこみ、寝室に行くと 孫はベビーベットの柵の中で


泣いていて、娘が倒れていた。 と発見した時の状況を話していた。


一通りの検査が終わった後に、医師からの確認があった。


「常識の範囲内で、自分で起こした事故とは考えにくく、お母さんの


お話でも、暴力行為があったと聞いた以上、医療機関としては


どんな事情があろうと 警察に連絡を入れる義務がありますので


今から通報することを、一応報告しておきますよ。」   と。


通報だけはしないでほしい。とお願いしたかったが、


体中がしびれて、声も出せなかった。


検査の結果、脳には異常がなかったが、肋骨に2ヶ所のヒビと、


全身打撲で 全治3週間。頭の腫れが取れるまでは安心できない


ので、しばらく入院するように。 との診断。


その日の夜は、鎮痛剤を点滴で入れてもらっても体中が痛かった。


特に 頭痛と吐き気が強くて、眠れなかった。




翌日、やっと意識がはっきりしたように感じた。


担当の先生に、通報の件はどうなったかと尋ねると、


私の父が、「まだ婿に詳しく話しも聞いてやっておらず、小さな頃


から知っている子だが 普段はこのような事をする青年ではない。


ここ最近大変な事が続いて 平常心ではなかったし、娘に落ち度が


あったかもしれない。警察沙汰になれば仕事も失うだろうし、そうな


れば娘と孫が路頭に迷うので、通報するのは止めてほしい。」 と


医師に頼んでくれたとの事。 


よかった。警察沙汰にはなってなかった。




3日後、どうしても子供の事が気になるので、家で安静にするし、


母が看病に付いていてくれるというので、退院できた。


父も仕事先である群馬から 様子を見にきてくれた。


産まれて初めて、父と母の愛情を感じた。



父と母は、今までの私に対しての暴力を詫びてくれた。


「今までは、今回起きたようなことを 自分達の娘であるから構わない


と思い、平気でしていたが、他人である婿から死ぬ目にあわされた


我が子を見て許せないと思った。でも、婿は、自分の妻であるから


構わないと思っているのだろうと思うと、今まで自分達がしてきた事を


申し訳ないと思い、後悔した。」  と言ってくれた。


そして、夫が反省し、平常心にもどる時間をつくるために


しばらく実家に帰ってくるようにと提案された。






私が妊娠中からの看護で、疲れていたんだ。


いろんな心配事で、不安な気持ちだったのだ。


その矛先が 私にきただけ。


激しい頭痛と吐き気、体中の痛みの中で そう思った。


夫は、ずっとハンドボールをしていたので 思ったよりも


力が強く、怒りのままに殴る蹴るをしたので、力加減をしらなかった。


帝王切開の傷口は開いてしまって、かなり出血していた。


帯祝いに母が贈ってくれたサラシを出してきて、お腹をぐるぐると 


きつく巻いた。今、病院へいくわけにはいかなかった。


行けば、確実に警察へ通報されてしまうから。


娘の父親である夫を、犯罪者にするわけにはいかない。と思った。




でも、それが悪かったのか、義母や私の母から連絡がある度に、


憂さ晴らしをするかのように、いつも私に暴力を振るうようになった。


娘は1歳2ヶ月に成長し、順調に発育していた。


義母は結局、あれからすぐに、私の実家で働きはじめていた。



夫が暴力を振るっていることが人に知れたのは、


私の両親が知人の結婚式のために上京してきた時だった。


日頃の夫は とても優しく、暴力のため起き上がれず、


出血も止まらない私を、優しく介抱してくれた。


子供の哺乳瓶を洗うのは 自分の仕事だと言って、


消毒までしてくれた。


テレビでみる沢山のドメスティックバイオレンス家庭の


状況と、そっくりだった。


その日は、夜、赤坂で私の両親と食事をする予定になっていた。


午前中、場所と時刻の確認の電話が母からかかってきた後、


急にまた、夫が暴れ始めた。


いつもよりも、もっと酷く殴られ、家中の鏡やガラスはすべて割られた。


破片が飛び散り危ないので、子供のいる部屋にだけは行かせるまいと


死守して、いつもより ずっと酷く殴られた。


ようやく夫が落ち着いた頃には、家中ムチャクチャで、


私は寝室のドアを守りながら、痛みに呻いた。


夫は、満足するほど暴れ終えると、非常に反省した様子で謝り、


私を寝室に寝かせてから父と母に、「すみれが風邪をひいて


調子が悪いので、今日は出かけられなくなった。」と電話していた。



体中の血液が頭の中で暴れているような激しい頭痛と耳鳴りが


して、時々、息ができなくなる程の血の味と、体の痛みに襲われ、


すみれが泣いても、起き上がることが出来ない。 なのに夫が


娘のところへこないので不思議に思っていると、母の声がした。


「やっぱり!○○が自分で電話してこないし、おかしいと思った!


しっかりしなさいよっ!助けにきたから、もう安心しなさい!」


と、父と母がかわるがわるに言っている。


状況がわからなかったが、間もなく救急車が来て 病院へ搬送された。



何だか安心して、涙がでた。





夫は、思ったとおり義母に注意し、嘘を言った事を責めた。


そして私の実家への出入りを控えるように説得して


2日後に、義母を九州へ帰した。



義母が帰って ほっとしたのも束の間、


今度はわたしの母から、「困ってるのよ~」と電話があった。


なんと義母が、私の実家のお手伝いさんとして雇ってほしい。


と玄関で座り込みをしているという連絡。 ・・・あ然。


そんな事は丁重に断るようにしてほしい。とお願いした。


母は、もちろんその積もりなのだけど、義母が納得しないので


夫に状況を相談させてほしいらしい。



マズイな・・・。   と思った。




私と夫は 近所に育ち、幼なじみ。


夫は小学3年生の時から、私の家に入りびたりで


昔から家族のような存在。


私の弟の親友でもあり、ライバルであり、


2人とも非常にプライドの高い人だった。


お互いに 「 お前には負けない。将来、お前の世話に


なるような事は絶対にない。」 が口ぐせだった。



母は、人の頼みごとを断れない人。



義母がお手伝いさんとして、実家で働くようになれば、


夫のプライドが傷つくのは目に見えてわかった。


案の定、母から話を聞くと、電話口で形相が変わった。


すぐに義母に電話をし、義母をののしり始めた。


今までの優しく強く悪意のない、正しい母に今すぐ戻ってほしい。


頼るのなら、義母の親戚や義父の親戚を頼ってほしい。


例え義父が戻ってこなくても、それは自分達夫婦のせいではない。


というような事を、汚い言葉も交えて義母に怒鳴った。


聞いていて、黙って聞いていられるような内容ではなかったので、


途中で電話を取り上げ、義母に私から謝ると


「○○ちゃんが言わせたのね!○○ちゃんのせいで、あの子は


私にあんな酷いことを言う子に変わってしまった。」 と泣かれた。


電話を切った後、私は夫と話し合うつもりで、傷ついた人間の心理状態


についてとか、回復するまでの家族のサポートについてとかを、


諭した。 私には経験があったから。




私の母は、私が小学2年生の頃から甲状腺の病気のバセドウ病を


患っていた。ホルモンのバランスが大きく崩れるため、この病気は


躁うつ病とワンセットと思ってもいい。 感情の起伏が激しくなり、


自分では抑えられなくなるらしく、その矛先は私にきた。


母は感情が高ぶるたびに、私を殴打し、階段から突き落とし、


包丁を突きつけて「一緒に死のう」と叫んだ。


家の中で 唯一の同姓である私に 救いを求めていたのだと思う。


母は虚言壁もあり、父がいない間に 私がどんなに悪い子だった


かを訴え、「それは母の嘘だ。」と訴えると、母親が嘘を言っていると


嘘をつくなど怪しからんとばかりに、両親から殴打された。


親が大切にしない子は、絶対に他人からも大切にはされない。


従業員の人も、父に何か言われてムシャクシャしている時、


私の手の甲に、タバコの火を押し付けた。両親に言っても


助けてはもらえなかった。学校の先生も、困り顔をするだけ。


そんな状況の中で、私は自分の心を守るために、母の愛情を、


親の愛情を求めるのは止めた。でも親は親。大好きだった。


だから、看護に徹した。 中学生の頃から図書館へ通って


難しくて難解な心理学の本を読みあさった。


愛情不足で反抗して、万引きをしたり、不良になったりする人は


わたしにとっては幸せな人にみえた。


愛情が足りない。もっと自分に向けて愛情を注いでくれ。と


言える親がいる幼稚で幸せな人に見えた。



私の目に、夫が そういう人達と同じに見えていたと思う。


親だって、人間だ。当たり前のこと。


弱っていれば思いもよらない事をするし、考えるものなのではないの?


それを甘受出来ないなんて、本当の家族の絆が出来ていないと感じた。


そして、思っていることを、夫に伝えた。



夫の顔色は変わり、憎悪を浮かべた顔で私を見た。


そして、自分の母親は天使のような人であるという事。


自分の母親は、私の母のような人間であるばずがないという事。


私や、私の家族のせいで、見る必要のないものを見ることになった。


家族の絆など深く考えなくても、これからも上手くやっていける。


俺の気持ちを無視して、おふくろを受け入れようとしている


お前の家族には、俺に対する優しさが無い。


お前のせいで おふくろに酷い事をいう羽目になったのに!


かばってやった俺に説教をするのか!


というような事を叫びながら、激しく殴る、蹴るをはじめた。




地獄の日々のはじまりだった。



 






産後3週間目。退院してから1週間目に妹から連絡があった。


義母の為に、実家が振り回されているらしい。


夫と私は話し合って、義兄に報告し、母をしばらくの間預かる事にした。


来てみると 義母は、思ったより明るい様子。


良かった。自殺の心配とかは無さそう。安心できる笑顔。


「○○ちゃん、悪いわね~。お世話になります。すみれちゃんに、


また会えて嬉しいわ~。」 と孫の顔をみて嬉しそう。


孫は可愛いって言うものね。すみれが傍にいれば、気持ちも


楽になるかも・・・。はやく元気になってほしい。  そう願った。


その日は 夫が夕飯を作ってくれ、久しぶりに明るい気持ちで


食事をした。 そのはずだった。 が、


義母が突然大声を上げて泣き出した。


何事かとなだめ聞くと、理由は夫婦茶碗とその他食器もろもろに


原因があるとの事。


「わたしが主人の事でこんなに苦しんでいるのに、その私の前で


夫婦茶碗を見せびらかしてっ!くやしいっ!それに、私は主人の


親戚中に反対されて結婚して、親からも支度をしてもらえなかった。


だから、主人と貧乏しながら一つずつ茶碗も家具も揃えてきたの


に○○ちゃんは何でも持ってるのねっ!家では何一つしなかった


この子も○○ちゃんのためにご飯作ったりして、仲の良いのを


見せつけられる!」


という理由らしい。支離滅裂だったけど、深く傷ついたばかりの


人って、何が引き金で悲しみを思い出すか分からない。


だから、私達のところへ迎えたのだから・・・。

ところが夫は、その様には受け止められなかった様子。


信じられないことに、夫が今まで生きてきた中で、


義母が生の人間らしい姿をありのままに見せたのは


初めてだそう。 とてもショックを受けている。


とりあえず、次の日からは私が夕食を作ることにした。


義母は、日中 すみれを眺めたり、テレビを見たりして


のんびり落ち着いて過ごしていた。


夫が小学生になってからは ずっとパート勤めをして


忙しく働いてきた義母にとって、初めての長い休暇だったの


だろう。穏やかな横顔。


お茶を飲みながら、義母のいろんな昔話も聞けた。


義母は義父よりも5歳年上であった為、義父の伯母さん達から


とてもいじめられた事。義父の浮気は初めてではなく、以前から


度々あったこと。それとは逆に、昔は真面目で誠実で、仕事が


終わると子供たちに駄菓子を買って、まっすぐ家に帰ってくる


人であった事。


義母は、義父との幸せだった時期の話をする時、本当に幸せそうに


する。年を重ねても、出会った頃のように、義父を思っている様子。


・・・義父がゆるせない! と思った。こんな風に突然出て行って、


義母がどんなに苦しんでいるか、義父はわかろうともしないなんて。



その反面、義母がいると、体は辛かった。


本当なら、まだ入院している体だったから。


子宮が裂傷した傷の治りが悪く、出血も酷かったけど、


夫の妊娠中の献身的な様子をみて、担当医が、はやく家族の


暮らしがしたいだろうと、早めの退院をゆるしてくれていた。


義母は、私の体の状態を知っていたが、家事はしてくれなかった。


夕方になるとスーパーへ出向き、夫の分だけ1品おかずを多く


する為の惣菜を1つ買ってきた。


夫が帰ってくると、今日は洗濯と掃除を○○ちゃんの代わりに


して、安静にさせておいた。とか、○○ちゃんに教わって夕飯を


作ったとか、台所でこっそり報告していた。


もちろん嘘である。


毎晩夜中に寝室に入ってきて、枕元に立ち、恨めしそうに私を


見下ろしたりもしていた。


夫を傷つけたくなかったし、義母がこのような状態になっている


のをわかってて呼び寄せたのだからしかたない。


と思う事にしていた。


でも、理性とは反対に、体の方が先に影響を受けてしまった。



まず、じゃんじゃん出ていた母乳が止まった。


1ヶ月検診で、すみれの体重は増えていなかった。


すみれは粉ミルクが嫌いで、うまく飲んでくれなかったから


入院させなければ弱るかもしれない。と言われた。


わたしの体の状態も悪くなっていて、


帝王切開の傷は、みごとに開いてしまっていた。


医師から、母子別々で再入院させましょう。と言われた。


そんな・・・すみれと離れるなんて、絶対に嫌!



この頃から、子供が4歳くらいになるまでの母親って、


野生の本能みたいなものが とても強くなっている。


子供のことになると、子供を守る獣に近くなる。




私は、夫に義母の日頃の生活を告白した。


すみれと離れたくなくて、必死だった。


・・・・・悪意があったかもしれない。




いろんなブログを見ていると、離婚で苦しい思いをしている


人が こんなにいるんだ。 って驚いている。


そういえば、わたしにも苦しんだ時期があった。


若くて、まだ純粋で、人の悪意に苦しんで苦しんで


死にたいという気持ちに振り回された日々だった。



ほのぼのとは 程遠いけど、夫と別れてから立ち直るまでを


書いてみみたいと思います。


暗い話や、人の悪意の話が嫌いな方は、絶対に読まないでね。


きっと、みぞおち辺りが 嫌な感じになるから。





結婚して、わずか8ヶ月。はじめて夫が暴力を振るった。


妊娠6ヶ月だった。


結婚して すぐに妊娠。妊娠悪阻、切迫流産、切迫早産で入院の日々。


夫が21歳。私22歳。


甘い新婚生活とはかけ離れた病院通いの新婚生活に


若い夫は疲れていたに違いない。


家に帰っても、トイレと洗面に行くことだけを許可されての帰宅だった。


入院費を心配してくれた担当医の配慮であったが、


家事全般を強いられた夫は、本当に辛かったと思う。


偉かったと思う。


申し訳なくて たまに家事をすると、とたんに大出血して


救急車で運ばれる私を、


「気を使わせてごめんね。俺のために無理してご飯作ってくれて


 ありがとう。でも、もう無理せんで。


 赤ちゃんの為に静かに休むのが 今の○○の仕事なんよ。」


と励ましてくれた。


医者からは、妊娠3週目の時から妊娠継続は無理だろう。


もし産まれたとしても、強い薬を使いすぎているため


健康な子供は望めない。 と処置を薦められていたが、


「この世に産み出して、なにか一つでもいい、この世は楽しい、


嬉しいと感じてくれたらいい。産ませてほしい。子供がダメに


なったなら、私もこの世にはいない。」


と、医者と夫に懇願した。


その時の私にとって、子供の命以外に大切なものなんて


何もなかった。


2日で6kgの体重が落ちてしまう状態の私の体を心配して、子供を


諦めろと言う家族や友達が、悪魔に見えた。


そんな私を、なだめ、慰め、励まし、支えてくれた夫が


疲れて暴力を振るったとしても、きっと彼の努力と天秤に掛ければ


大した事ではなかったと思う。


それからも、たくさんの迷惑をかけた。


1週間もの間、強い陣痛が続き、挙句の果てに帝王切開。


両方の実家が埼玉からは遠い九州にあり、私の母は入院中だった


為に、会社に無理を言って、夫が ずっと傍にいてくれた。


彼は本当に1週間もの間、2時間しか眠らずに付き添ってくれた。


幸運なことに、産まれた子供は健常児だった。それが すみれ。


医師は疑って3回も検査をしなおしたが、どこにも異常なし。



退院して元気になったら、夫に恩返しをしよう。毎日、清潔な


部屋で、温かな食事をだし、全部の洋服にアイロンをかけて、


何不自由なく日常生活が送れるように努力しよう。と決心した。



でも、また現実は違うものになった。



いつまで経っても産褥の出血が止まらなかった。


原因は、1週間もの陣痛で子宮が無数に裂傷し、それをつなぎ


あわせていた為。


そして普通の家庭に育った夫にとって、ショックな出来事が


起きた。 初孫のお七夜を祝いに来てくれた義父が、


家に帰らぬまま 愛人の所へ行き、帰ってこなくなった。


義母に対する義父の言い訳はこうだった。


「俺の考えた名前を、初孫に付けたかった。おもしろくない。」 と。


初耳だった。名前を考えてくれていた事も知らなかった。

こちらとしては、言い訳の見つからない義父の、勝手な言動と


とらえたが、義母にとっては そうではなかった。


すべての原因は嫁である私にあると、責めはじめた。


ノイローゼになっていたのだと思う。


幸か不幸か遠方であったため、日に何度かの電話の相手を


すると、義母は落ち着いてくれた。


でも、それは間違いで、実は私の実家に夜となく昼となく


駆け込み、苦しい心情を訴え、泣き叫んでいた。


堪りかねた中学生と高校生の妹の電話で、状況を知って


夫も私も驚いた。 私の実家は商売をしており、父は仕事の


都合で1年のほとんどを関東地方で過ごし、母は入院していて、


家には 3年前に施設から養女として迎え、忙しい両親に代わって


ほとんど私が世話をした妹が2人いるだけだった。


母は、2人の事を心配して、手術を終えたばかりの体で無理を


し、昼間はずっと外出をとって帰宅し、義母の相手をしているらしい。


無理がたたり、高熱と出血が続いても、義母は来るのを


やめないらしかった。


母がいない間、妹達の食事の用意等を手伝ってくれていた


母の友人が、母の状況を説明しても 


「でも、私は苦しくて苦しくて眠れない。奥さんたちは夫に愛されて、


何不自由なく生活できて羨ましい。」と泣くばかりらしい。


妹は中学3年の受験生。これ以上、家族に負担はかけられない。


私と夫は、義母を呼び寄せて 一緒に暮らす事にした。



それが、夫の暴力の引き金になるとは思わずに・・・。