西村監督のルーツ | まりなび

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~19th season marinavi~
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昨日、今日と文化放送の『くにまるジャパン』に出演している西村監督。

チームの和の原点、自身のスイッチ転向のルーツを語っています。

放送の内容を要約すると、こんな感じになりました。



・月曜日放送分
文化放送でシーズン中、毎週月曜日に放送している『千葉ロッテマリーンズインフォメーション。』
今シーズン、初めのマリンスタジアムでの試合にお邪魔し、最後に「日本一をやる以上、目指してやります。」と、語った西村監督。

言葉に出して言わないと、選手がいる事でしたが選手もその気持ちを持っていましたので全員でやり遂げたと語りました。

西村監督の実家は、決して裕福ではなくその環境で野球をやれたことに対して両親に対して感謝を持っていたそうです。
しかし、「あの西村の所の息子はどうにもならん!」と、両親は相当言われたそうです。
野球を正式にやりだしたのは、中学のころから。
中学三年のときに県大会で優勝。ポジションはサード。

高校時代に野球部を一年の秋に一度、辞めようと考えたことがありました。
バイクを乗り回していたのを羨ましく思ったからだそうで、楽したかったというのが本音だったそうです。
「辞めるんだったら、お前の代わりをつれて来い!。」と、当時の監督に言われて辞めることはありませんでした。
これはチームメイトからも言われたそうです。
チームメイトは探しまくり説得し、両親はこっぴどく説教。
それから何事もなく、スムーズに野球を取り組むことができました。
二年の時に、夏の甲子園に出場。

今年のマリーンズのチームスローガンである『和』は、ここから来ていると考えられます。


・火曜日放送分
高校卒業後、国鉄(現・JR九州)に入社。
高校で野球を辞めたいと持っていましたが、当時の国鉄は競争率が高かったですが、野球部のセレクションを受けて入ったほうがいいのではないかと言われます。

社会人野球に対して最初は、草野球に毛が生えたと思っていた西村監督でしたが、想像以上に練習が過酷でした。
ドラフト指名されたときに本人は前向きに考えていましたが、母親は当時の国鉄は安定していましたので反対しました。
反対されたものの、父親や叔父さんが賛成してくれたので、ロッテオリオンズに入団しました。

一年目の秋に、スイッチヒッターに挑戦。
理由は俊足を生かすためだそうです。
この世界でやっていくためだそうです。それまでの甘い考えを捨てての挑戦。
一番大変だったのは、感覚だったそうです。

プロ入り初安打が、スイッチ転向後の左打席で達成。



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