まりなびゼミナール第十一回です。
千葉に移転しても、観客数は川崎時代と変わりありませんでした。
スタンドはガラガラで、珍プレーによく出てくるバ●ップルが出たくらいでした。
そんな中、米国からある男がやってきます。
男の名は、Robert John Valentineと言いました。この年にマリーンズのゼネラル・マネージャーに就任した広岡達郎氏請われてマリーンズにやって来ました。
現在ではゼネラル・マネージャーは、ホークスの王貞治氏(監督と兼任)、ファイターズの高田繁氏などがいますが、マリーンズが日本球界で最初にゼネラル・マネージャー職を設けたのです。
Robert John Valentineは、1985年から1992年までテキサス・レンジャースで監督をしており、低迷していたレンジャースを上位にまで押し上げた手腕を買われてマリーンズにやって来ました。
彼が最初にしたのは、ユニフォームの変更です。
当時のマリーンズのユニフォームは、サンライズ・ピンクとカレント・ブルーを基調としたユニフォームで、千葉県のイメージを前面に押し出したもので、当時は斬新なものでした。
そのユニフォームを見て、
「これは戦うもののユニフォームではない」
と、言いました。
そこで、てこ入れをしてタテジマのユニフォーム、つまり『戦ユニフォーム』が就任翌年の1995年から使用するようになりました。
ビジター用のユニフォームは何度か代わっていますが、ホーム用のユニフォームは11年も変わっていません。
ペットマークも当初は船がメインでしたが、マー君主体のペットマークに変わったのもこの頃からです(現在のペットマークとは違います)。
メジャーでの手腕どおりであるのか、低迷していたチームが嘘のように勝ち続け、震災復興で地元胴上げを目指していたオリックスブルーウェーブのグリーンスタジアム神戸での胴上げを阻止する三連勝、常勝だったライオンズより上位の2位(10年ぶりのAクラス、貯金10)に食い込むなど、当時の弱小イメージを払拭するものでした。
彼は慈善活動にも熱心で、阪神大震災のチャリティーゲームを企画しました。
このような大躍進で、多くのマリーンズファンは来年は優勝だと誰もが確信しました。
しかし、ここまでチームに対して貢献したにも関わらず、広岡GMとの確執が表面化し、ファンから惜しまれつつ一年で退任してしまいました。これに対して多くのマリーンズファンは球団の姿勢に対して批判しました。
その後、彼はニューヨーク・メッツで翌年から指揮を執るようになり、多くの日本人メジャーリーガーがニューヨーク・メッツで活躍しました。
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大激怒の稲洲先生、この後にコブラクローと腕挫十字固で、ロバートの愛称がボビーである事を教えました。
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ココにはジャイアンのように
「ユリカのくせに生意気だぞ!」
と、いう人はいません。でも、「のび太のくせに生意気だぞ!」と「ユリカのくせに生意気だぞ!」は、人権侵害では・・・・・・。
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