自由研究には向かない殺人  ホリー・ジャクソン | 本読みを哀れむ歌

自由研究には向かない殺人  ホリー・ジャクソン

 

 

 

高校生のピップは自由研究で、自分の住む町で起きた17歳の少女の失踪事件を調べている。交際相手の少年が彼女を殺して、自殺したとされていた。その少年と親しかったピップは、彼が犯人だとは信じられず、無実を証明するために、自由研究を口実に関係者にインタビューする。だが、身近な人物が容疑者に浮かんできて……。ひたむきな主人公の姿が胸を打つ、傑作謎解きミステリ!
 

 

2020年のカーネギー賞候補になったという本作。
惜しくも受賞は逃したらしいが、カーネギー賞といえば、イギリス児童文学でも権威ある賞。そして、カーネギーといえば、図書館建設に尽力した実業家。今ある、開架式の書架を推奨したのがカーネギーで、その恩恵で私たちは今自由に図書館で本を選べるのだ。
そのカーネギー賞は1937年に創設された由緒ある賞。
栄えある第一回受賞作はアーサー・ランサムの「ツバメ号の伝書バト」ランサムサーガの6作目。
そのほか、「床下の小人たち」(ジブリ「借りぐらしのアリエッティ」の原作)ナルニア国物語「さいごの戦い」「トムは真夜中の庭で」「フクロウ模様の皿」「ウォーターシップダウンのうさぎたち」「黄金の羅針盤」「ボグ・チャイルド」「怪物はささやく」等々、錚々たる顔ぶれ。
児童文学といっても、結構幅は広くて、子供が読むものというより、青少年向け、というものも多い。
本作も、高校生が主人公だからという意味で、候補になったのだろうが、児童文学というより、これは普通のミステリでしょ、と思う。
なかなか刺激的で、楽しく読めたのだが、自分自身問題だったのは、イギリスの教育制度について、不勉強だったこと。
日本とはかなり違うので、戸惑った。
見知らぬ人」でも、中等学校(セカンダリースクール)が舞台になっていて、キーステージという単語が出てきていたが、これは、ナショナルカリキュラム(日本でいうところの学習指導要領)において年単位のブロックで編成されたものをいう。日本では学年ごとに学習指導要領を定めているが、イギリスでは、例えばキーステージ3では7、8、9年生を1ブロックとし、学習到達の目標、基準を定めている。
「自由研究――(長いので以下略)」では、主人公のピップ(ピッパ)はシックスフォームと言われる、中等教育(ここまでが、義務教育)と高等教育(イギリスの場合、大学等を指す)の間にある、一般教育修了上級レベル――GCE A-level(大学入学に必須の試験)を取得するための学校に通っている(日本でいうところの高校だが、シックスフォームは受験に特化している。日本のようにとりあえず、高校に行くということはなく、就職を選ぶ子は職業訓練用の学校へ入学する。いろいろと資格習得することができる)
ピップはAレベル取得の他に、EPQとして、その題材に5年前、自分の住む町で起きたアンディ・ベル失踪事件を選ぶのだ。(EPQ――Extended Project Qualificationはまるで、日本の小学生の夏休みの自由研究と同じで、何を題材に選んでもいい。EPQは大学受験に必須ではないが、選考の対象になる場合もあるらしい)
それにしても、自由研究にしてはかなりトンガリすぎる衝撃的なテーマである。(日本なら、まず承認されない。OK出した、先生もすごいな。ゴリゴリの探偵を始めるとは思っていなかったんだろうけど)
アンディは生きているのか、いないのか。生きているなら、どこにいるのか。死んでいるなら、遺体はどこなのか。
犯人とされているアンディのボーイフレンド、サルが殺したのか。
彼は本当に自殺なのか。それとも殺されたのか。
でも、高校生の女の子ができることなんてたかが知れている。それでも、すこしずつ、分かったことをまとめて、真相に近づいていくのだ。
サルの弟ラヴィと調べを進めていくうちに、だんだんと見えていなかったものが見えてくる。隠されていた事実も、秘密も、犯罪も。
ダーティな展開なのに、ヤングアダルトものだからなのか、それともピップの性格がまっすぐで一生懸命だからなのか、思ったよりも爽やかだ。(これが、一般向けだったら、もっと凄惨な話になりそう)
この隠された事実というものも、実はよくあるありふれたようなものだ。美人で明るくて、人気者だったアンディの秘密。
彼女を取り巻く様々な人たちの、隠されたいろいろなものも。
それらにも、ピップは目を背けない。
きちんと真実を見つめる目が備わっている。そして、正義感の塊。
それはピップの家庭環境がそうさせているのだろうか。
実の父はヒップが赤ん坊のころ、交通事故死。母と、陽気なナイジェリア人のステップファーザー。父親の違う弟。
一見ありがちな家族構成だが、この明るい家族(特に父親)が話に奥行きを与えてる。
また、アンディの家族も描かれるのだが、こちらは絵にかいたような胸糞悪い父親(実の父親にもかかわらず)なのである。
この対比がいい。
やはり、子供に    大切なのは家庭環境なんだな、と思い知らされる(それだけではないことも分かる。でも、ほぼほぼ家庭環境が大事。無条件で庇護してくれる存在がありかなしか、それだけでも違う)
親ガチャなる言葉が最近はやっている。子供は親を選べないから。
でも、人生を早々にあきらめる言葉になってはいけないと思う。
彼らの周りにピップのような子がいることを切に願う。



以下、ネタバレ。

事件の夜、アンディは教師のエリオット・ワードと口論となり、エリオットがアンディを押しのけた際、アンディは机に頭を強打してしまった。なぜかアンディはそのまま、帰宅。家で、妹のベッカと言い争いになり、アンディは倒れ、そのまま死亡した。ベッカは自分がアンディを殺してしまったと思い、死体を古い農場の汚水タンクへ隠した。
エリオットはアンディが行方不明になったため、サルに濡れ衣を着せるため、サルに睡眠薬を飲ませ、ビニール袋をかぶせて殺害したのだ。



ピップが「大いなる遺産」読んでるシーンは、作者のお遊びかな。「大いなる遺産」の主人公、ピップはフィリップの短縮形。ピッパという名前自体はフィリッパの愛称なんだけど。略称を名前にしちゃうこともあるのね。
Philip→Pip
Philippa→Pippa→Pip
ピップは短縮形だから、男の子女の子どちらでもOK
そういえば、クリスティの「予告殺人」にもヒップという登場人物がいた。男女錯誤トリックというほどじゃなかったけど、「ピップ」という名前から男の子だと勘違いをしていた、というケース。