銀狼ちゃん&Lの会話。昭和の母ちゃん外伝。貧乏と”戦わない”暮らし方。 | 銀狼の銀河の荒野

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人よ
お前は何処に問い掛ける
その指先にある 自らの未来を
お前が俯いた地の底にある無尽蔵な恵みを
肉体と魂を貫いた光が衛星となり
お前の行く末を守るだろう
銀河の荒野に響く 絶え間無い調べとなり





  

銀狼ちゃん「映画”鬼畜(1978年版)”を視聴して、”ああ、やっぱり子育ては心身共に重労働だな”と感じた」

銀狼ちゃん「あの映画がリアルなのは、世話しても世話しても子供達はお腹が空き泣き汚れものが溜り続ける”現実”や元々子供がいなかった夫婦の自営業にも悪影響が及んで行く”現実”が容赦無く率直に描かれている事だ」

銀狼ちゃん「俺自身、介護で似た状況を味わった。実感として、理解出来る」

 

L「労働に見合った”対価”が日々得られないから、苛立ちが抑えられなくなり”児童虐待”が生じるのでしょうね」

銀狼ちゃん「蟹江敬三さん演じる、夫婦の店の雇われ人が夫婦の修羅場や子供達の惨状を間近に見ながら直視せず近寄らず”無関係”を貫き通す姿や被害者を”保護”した警察関係者達さえも幼い少年の”気持ち”を汲む発想は全く持たず”証言を引き出す道具”の様に扱う姿も鬼畜なのかも知れない」

 

銀狼ちゃん「あの映画は、結局”射精責任”を放棄して国や県の福祉にも頼ろうとせず我が子を遺棄したり挙句には殺しに掛かる馬鹿男と愛人と子供達への嫉妬と怒りに駆られた鬼女の物語だが」

銀狼ちゃん「昭和の子育ては、もっと大雑把で豪快だったんだよ」

銀狼ちゃん「例えば、俺ん家の子供の頃の朝食は”ミルクコーヒー&トーストのみ”or”お茶&振り掛けご飯のみ”が定番だった。昼は、素麺。子供達が好きだろうと嫌いだろうと、関係無い。多忙な朝や昼は子供等を座らせ”ばばっと作って食べときゃあよぉ”で終了」

銀狼ちゃん「以前も書いたけど、幼稚園ぼっこ時代。母は、カラフルな凝ったお弁当を作ってくれたけど俺の真向かいの”しんちゃん”は毎日でっかぁぁいおにぎり1個だった。海苔でぐるぐる巻きにされている三角おにぎりを被り付く様子が旨そうで旨そうで(笑)」

 

銀狼ちゃん「お風呂も、夕方になると兄弟や従兄弟達と一緒くたにざっぶぅんと湯に漬けてごしごし洗って終了」

銀狼ちゃん「後は、浴衣着せておやつやお夕食をべさせて20:00までに寝せるだけ」

銀狼ちゃん「ただ、合間にカルピスや甘いミルクや”良い子にしてたらご褒美”として手作りおやつやシャービックやプリンが綺麗に飾られて作られていたな」

 

銀狼ちゃん「縁日に行くと、笊に寝かされた赤ちゃんもよく見掛けたし。ぱぱやままが働いている茣蓙の上ですやすや眠っていた」

銀狼ちゃん「洋服は、殆どが無料で親戚やご近所さんから貰う”お下がり”だった。俺の同級生も、同様に”お下がり”を親御さんがリフォームしてお洒落なバッグに仕立て直していた。子供にしてみたら、思わず自慢もしたくなるよ」

L「成程。貧しさが生んだ筈の品物から、むしろそれぞれにしか表現し得ない”オリジナリティ”が出現している」

銀狼ちゃん「子供はね。何時か、判る。そんな毎日そのものが、”親からの愛情”だったと言う事を。殊更の贅沢や大袈裟な言葉じゃ無い、親や周囲の大人達が背中を丸めて作ってくれていたご飯や洗濯して貰った衣服や片付けてくれた掃除の積み重ねの尊さに手を合わせる日が来るんだよ」

 

L「労働の対価は、他でも無い子供達の心に”預金”されて積み重なり思わぬ利子が付くのでしょうね」