「国家の首領が、他国家を攻撃して”戦争”を始める→最初は、青年達が駆り出され”敵地”に派遣される→次第に男性全般に及び、遂には女子供までもが”敵国人を殺せ”と命じられる→敗戦。国の首領は、安全な建物の下で捕まると”部下達が暴走しただけで、自分は知りませんでした”等と責任を逃れようとする」
これが、概ねの戦争のあらましである。
このルポルタージュは、アメリカ・日本両国から戦地に追い遣られた人々が双方の価値観や死生観の差異も相俟って疑心暗鬼に陥り自ら作り出した恐怖心から殺し合う様子が実際の音声で描かれていた。
アメリカ兵は、「ステーキが食べたい」「早く、家に帰ってマイベイビィに会いたいよ」と話す。
逃げて来た日本の子供達にキャンディを渡し、「礼儀正しいから、”お腹一杯”って断れないんだ」と驚く。
日本兵が「テンノウヘイカバンザイ」と叫びながら自爆する姿に不気味さを覚え民間人に混じって奇襲を掛ける遣り方に嫌悪を覚える。
だが、日本兵は本心では「お母さん」と泣きながら死んでいった。
戦後79年を経て尚、戦友達の最期が鮮明に蘇る”生き残り兵”の落涙を見ていられなかった。
あるアメリカ兵は、誤って日本人少女を射殺してしまい後悔の果てに自殺されたと言う。
・・・。
神は、”人類は、皆兄弟”とお定めになったのにこの不条理な惨状は何なんだ!!
だから、俺は思う。
「多くの死者が積み重なる前に、最初っからこの言い出しっぺだけ捕まえりゃ良いじゃん?」
(1)”何故、戦争を起こすのか”
特に男性は、生涯を”全能感”に支配され易い。
”全能感”とは、「俺は、他の人間がやれない事を遣って退けた」と言う達成感の一種である。
出世して高い地位を得たり、高価な邸宅や乗用車を所持したり美人の妻女を得たりする事を目的にしがちである。
そして。
”他の人間がやれない事”の一例が”殺人”なのである。
多くの国家では、当たり前に法で”殺人”が禁じられている。
だが。
国や宗教の首領となった人間の一部に、この法すら自らの特権で蹂躙しようと図る輩がいる。
国家が神仏がと盾にするが、単なる自己弁護に過ぎない。
「デスノート」の夜神月は、正にこの”全能感”の虜となり奴隷になる様が描かれている。
”誰にも知られず、殺人を犯す”ノートを手に入れたばかりに、”新世界の神になる”だの何だの理想をほざきながら結局は友人も家族も死と破滅に追い遣りただただ自らの保身に明け暮れる。
国の首領達も、戦争を始める動機付けとして国家の繁栄だの宗教の正当性だの何だの積み上げるが膨大な財と労力を貪る”戦争”なんかで人々が幸せになった試しが無い。
強いて言えば、不毛な戦争の後生き残った国民皆で”事後処理”に頑張った復興が栄えさせるだけの話だ。
(2)一般の国民の中で、この様な戦争を肯定する人々は「やられっ放しじゃ無く、一矢報いたい」と考える人々だと思う。
一般の国民の中で、この様な戦争を否定する人々は「見ず知らずの人間を、殺す事で一矢報いるとは考えない」人々だと思う。
まずは、”他国を侵略しない・させない事”
戦争肯定派は、「日本も”核武装”するんだ!!」で思考停止する。
俺は、そうは思わない。
弓矢や槍で戦っていた時代と、核兵器で地球を壊せる現代とは違う。
今だからこそ、戦争を回避する最強の武器は”丸腰”なのだから。
国家(国の首領)が、戦争に賛成し始めた時。
俺自身は、それが何時でも”不戦”を願う人間として「自分は、武器は持ちません」と言い切る。
国家(国の首領)は、家族を人質に取る。
「お前が戦争に加担しなければ、家族とお前を殺すぞ」と脅迫する。
俺は、”どうぞ”と答える。
人間、死ぬ時は死ぬんだ。
銃や爆弾を持って、何人か殺したところで俺だって家族だってどうせ死ぬ。
戦争(国家のその時の首領の代理殺人)に信念を曲げて賛同して、見ず知らずの人々を殺した後で死ぬよりも”殺人はしたくない”との信念を全うして死ぬ。
家族には、申し訳ないけど。
狂った国家が殺すのであって、俺が手に掛ける訳じゃ無い。
人類、どんな意見も”半々”である。
こうして、戦争否定派が死に絶えると戦争肯定派ばかりとなる。
世界は、荒廃している。
程無くして、今度はその戦争肯定派同士でまた殺し合うのだろう。
”最後の切り札”
核爆弾を、思う存分に破裂させ合って地球は壊滅する。
国の首領の皆様は、火膨れの身体で水を飲む事も動く事も出来ず「俺の勝ちだ」と汚物を垂れ流しながら息を引き取るのだろう。