NHKスペシャル

あなたの笑顔を覚えていたい

http://www.nhk.or.jp/special/onair/071029.html

三重県に住む岡本紀美さん(36)は、10歳の時の交通事故が原因で、高次脳機能障害となった。重い記憶障害のため、ひどいときには数分前に自分が何をしていたのかも忘れてしまう。その紀美さんが、去年春、男の子を出産。手探りの子育てが始まった。待ちかまえていたのは、予想を超えた困難だった。ミルクやオムツの時間を忘れてしまう。子どもがなぜ泣いているのか理由がわからない。そして、家族にとって大切な「思い出」を共有していくことができない・・・。それでも紀美さんは様々な工夫で記憶を補いながら、懸命に我が子と向き合っている。そして、それを支えているのが母親の圭子さんと夫の法之さんだ。障害を理由にせず自立した母親になって欲しいと、温かく、そして厳しく見守ってきた。時には激しい言葉をぶつけあいながら、家族は困難に立ち向かってきた。そんな中で今、紀美さんと息子由聖君との間に、ある変化が芽生え始めている。これまでなら記憶できなかった母子の楽しい思い出が、少しずつ紀美さんの中に残り始めているのだ。家族の絆とは何なのか、子育てを続ける紀美さんと家族の姿を一年にわたって記録した。


先日、このような番組をやっていた。


以前、『記憶の図書館』という題目で、ここで語らせてもらったことがある。

http://ameblo.jp/cm115202771/entry-10006248302.html


どちらかといえば、涙もろい私であるが、目の前が滲んで映像がぼやけるぐらいに

泣かせていただいた。


人の記憶、それはあまりにも儚く、あまりにも脆いものであると再認識できた。

交通事故の障害とはいえ、あまりにもひどすぎる。

楽しい思い出は簡単に消え失せる。最愛の夫との出会いも覚えていないのだ。

思い出は、作ろうとして作るもの、ポッと出てくる瞬間、とがあると思う。

思い出には喜怒哀楽もある。思い出には風景がある。思い出には時間がある。


記憶の図書館的に例えるなら、

一日一日の記憶という本を整理するのだが、整理した本が泥棒に盗まれてしまう。

その泥棒は、驚くほど残忍で、笑顔がいっぱいの書棚ばかりを付け狙う。

盗まれた本は、他の書棚に隠すわけでもなく、図書館から外に持っていかれてしまう。

もうその記憶を探すことはできない。。。


思い出のたくさん詰まった本は、重いのだ。

それほどたくさんの愛情や感動が一冊にまとめられている。

泥棒が持てないくらい重い重い一冊を、

岡本さんは最愛の子供と一緒に書き進んでいこうとしている。



人は、時として、五感を失う。

人は、時として、手足を失う。


人は、時として、五感や手足がなぜ失ったかを忘れる。

忘却の彼方に何が見えるのか。見えた景色も忘れ去られる。



今朝、出勤時。


いつもよりも渋滞が激しかった。


雨のせいかな。

いつも通りの道を急ぐ。


途中、広い交差点が渋滞発生箇所だった。

1台のトラックが停車している。


歩道を見ると、学生が雨合羽姿で地面に横たわっていた。

半身の状態で、ものすごく苦しそうだった。


接触事故だと思う。

軽度のものだと思う。


信号待ちの1分弱。

車から彼女を見ていた。

苦しそうだった。


駅へと足早に急ぐ歩行者は、腫れ物を触らないように、よけて、よけて、よけていく。

隣の男性が携帯電話で電話している。おそらく救急車だろう。


その間も、彼女は雨に打たれていた。

横たわって、苦しそうに、雨に打たれていた。


車を停めて、傘をさしてやればよかった。

後悔の念でいっぱいだ。。


オレも障害物をただ眺めている一人に過ぎなかった。

奇麗事と言われようが、傘をさしてやればよかった。




改めて、東京という街を再認識した感じだ。

人間は実に頭がいい。

干渉は歪みを生む。干渉しない事が、プラスにもマイナスにもならないことを知っている。

同じ今日を迎えられることを知っている。



田舎から出てきて、感情までもが冷たく感化されている。

オレの親父やおふくろは、どんな行動をとっただろう。

オレの友達は?田舎の人たちは?


腐った社会に、骨の髄まで浸かっている自分が、もどかしい。


だが、干渉しなかったオレの今日は、いつもの何も変わらない。

いつもと同じ今日なんだ。


煮え切らない思いをかき消すように、煙草に火をつけた。

いつも、よりも苦かった。



念ずれば 花ひらく



人は欲深い生き物だ。


一つの事を念じ、一つの事に集中し、一つの事に没頭し、一つの事に生涯をかける。


全ての万民がそうであるならば、全ての万民が一流となり、全ての万民が権力者となる。


だが現実は違う。



ある人は、女手一つで逼迫する家計を支える。

ある人は、ネットカフェを宿に日当バイトへ出掛ける。

ある人は、新宿中央公園を追われ息絶える。


こういった言葉がある。

『上を見たらキリがない』

だが一方でこうも思う。

『下を見てもキリがない』


飢餓で苦しむ子供の絵を見せられ、蛆が湧く腐った足を引きずりながら歩く光景。

戦争で死体が山積みになっている光景。

拘束された邦人記者が無残に処刑される光景。


確かに、そういった環境下に居ない分、世界的に見ればとても恵まれている。

恵まれているというより、むしろ恵まれ過ぎている。


頭では理解しているが、本能はどうだろうか。

より良い生活を求めていないだろうか。

今よりも裕福な生活を夢見ていないだろうか。

やりがいのある仕事に就きたいと切に願っていないだろうか。


念ずれば 花ひらく・・・


周りの誘惑に目もくれず、ただひたすらに念ずる。

周りの誘惑に目もくれず、ただひたすらに努力する。


そういった人達が成功者となり、そういった人達が勝者となる。



ただ、それが出来ない人間が大多数を占めるのが現状だ。


人は弱い、人は腹黒い、人は怠惰を求める、人は・・・欲深い。

頭では理解しているが、本能が邪魔をする。

頭では理解しているが、本能に逆らえない。


念ずれば 花ひらく


念じ続ける事が出来ない。



人は欲深い生き物だ。

こういうものに初めて試みてみる事にします、よろしくお願いします<(_ _)>



高校を卒業し、部活動の流れで一部上場企業に入社する事が出来たのだが

専攻科目が電気だったため、現場で使用する工具類等の名称がほとんど

わからなかった。

研修が終わって、現場配属となり、目当ての現場へ運良く配属となったのだが

着任したGr(グループ)のL(リーダー:主任)が、凄まじく職人だったため

新人の僕と、取っ組み合いの喧嘩にまでなったw


高卒はCLM(チーフラインマネージャー:課長)までしかレールはない。

大卒は青天井に出世の道が用意されている。

課長までならともかく、他部署のお偉い部長さん、さらには社員云千人をかかえる所長までにも

平気でタメ口で会話をする僕の当時の上司なのだが、仕事が出来ると社内で噂になっており

お偉い方も一目置く存在なのだ。


まぁ、それは後々に徐々に知っていく事になるのだが・・・


ラインを流れる製品に変調が置き、シートバー(某製鉄所勤務でしたw)がアコーディオン状態となる。

要は、まだ温度の高い真っ赤な鉄板が、ぐにゃぐにゃとなり設備を破壊する大トラブルなのだ。

現場は騒然となり、オペレーター達は消火ホースで設備に放水している。

圧延ラインの各機器の大半は油圧稼動なため、引火の恐れがあるからだ。


合羽を纏い、腰道具と安全帯を装着し、ヘルメットをかぶり、火と水の嵐の中へ復旧に必要な基点となる

センサーを交換しに行く。

工場内はパトライトがぐるんぐるん回り、警報がウーウー唸っている。


千葉房総訛りのL(リーダー)は

「エフコ(エフコテープ)とシーラー(シリコン)を持ってこい!」と僕に言ったそうだ。

僕は「ハイッ」と答えた。大規模なトラブルだけに聞き返す事ができない。

何とか聞き取れ、制御ルームと現場を往復して必要不可欠品を渡す。


無表情で作業に取り掛かるL(リーダー)。内心、コイツ案外格好ええやんと思う。


「パテ持ってこい!」と、こう僕に言った。

はて?パテとは??

僕は「ハイッ」と答えた。再び往復する。

たまたまゴミ箱に捨ててあったドラムのバチを現場へ持って行き渡す。

(当時ロックバンドのドラムをやっていた三交替勤務の面識のない輩が捨てたそうだ。)

僕もわかってましたよ、こんな大変な時に、エアードラムなんてしないだろうってねw

「パテだよパテ、お前、何やってんだ」

「なんすか?何て言ってんすか?」

「お前、使えねぇなぁ~」

千葉房総の方、ごめんなさい<(_ _)> 方言がきつくて、本当に何て言ってるのかがわからなかった。

しかも『パテ』という存在を知らなかった。詳細はこちら http://www.monotaro.com/c/021/775/


同時に

「パ~テ~」

「パーチーぃ」


・・・無言。。。


同時に

「パーテー」

「ぱぁぁんちぃぃ~」



・・・・・・・・・・・・・



目が合った瞬間に、現場で取っ組み合いw

ふざけてんのか!って言われても、わかりません。物が全然イメージできません。

でも職人気質のリーダーは、気を使う事がまずありません。無愛想、人間関係不器用なのです。

周りもまさか新入社員が取っ組み合いをやるとは思ってもみなかったらしく、止めてくれたが

もう一人の新人君(もちろん僕と同期)は安全帯に吊られ、ゆらゆらと現場を浮遊していたw



その日の仕事終わりのロッカールームに大浴場があるのだが、そこでリーダーと一緒に。

全然、何事もなかったように、「お疲れ~」っと一言ww

本当に心に広い?(無関心なだけ?)良いお方なのです。



皆様も専門用語的なものに、ものすごい苦しめられたのではないでしょうか。

これをきっかけに、予備知識と知ったかぶりは社会では絶対必要と勉強しました。


お粗末様でございました<(_ _)>


知人の結婚式で週末は地元へ帰省する形となった。

こちらよりも、やや秋風が冷たく、どんよりした雲が活況を忘れた商店街に

追い討ちをかけているようだった。


初めて、田舎へ夜行バスというもので帰ったのだが、座り心地が最高品質で

二度と乗らないと心に決めた。


能代バスステーションに到着し、ふわふわと揺れる車内から能代の地に足を

着けた訳だが、その変貌ぶりに目を見張った。

4車線の大通りの両脇に、長さ1km弱並ぶ商店街にはアーケードが取り付けられているが

2ヶ月前に帰郷した際にあったアーケードが消えていた。

話によると、今冬の豪雪に耐えられないため、市が撤去したらしい。


写真は私の母校『能代市立能代第二小学校』だが、廃校になったらしい。

正式には来春に廃校とし、市役所の駐車場等で利用されるらしい。


能代では現在、過疎化が深刻な状況で、地元企業へ就職する道も、現在の不況下では

考えられず、大抵が外へ出て行くという。

不況下で地元企業が新入社員を募集にかけれず、上京等をした若者が秋田以外で

仕事に定着し、腰を落ち着かせる。結果、子供は秋田へ恵みの雨すら降らせない。

最悪な負のサイクルとなっている。

6万強いた能代市人口も4万人を切る勢いだとも聞く。

市の中心部が廃れていく中、郊外へ大型ショッピングモールを誘致し、小さい規模ながら

ドーナツ化現象が進んでいる。

知人と仕事の話になり、給与の話になったが、月4日の休日以外働き詰めで

手取りが15万円を切るらしい。

小泉内閣の痛みを伴う改革、格差社会という経済政策、競争による不況からの脱却という

いざなぎ景気は、都市部を中心に潤いをもたらし、

こういった競争にも参加できない小さな小さな市の小さな小さな企業は、苦悩する毎日を

送っているだろう。

テレビのCMでは、連日パチンコの広告が大半の秒数を仕切り、消費者金融のCMと

セットとなっている。

私の実家のすぐ近くにもパチンコ屋があるが、パチンコ屋のトイレで首を吊るという自殺の

噂が後を絶たない。

田舎への永住は、相当な勇気と決断力が伴うことだろう。


それでも笑顔を絶やさない友人・知人に尊敬の念を抱く。

彼らは毎日、こういった事柄に正面から向き合い、そして戦っている。


彼らに勇気や元気、希望を見出す事、笑顔を忘れない事、そういった基本的だが

見失っていたものを再確認させられた。


私は彼らを誇りに思う。そして、地位や名誉ではなく、友情というかけがえのないものに

感謝の念を抱き、今日はペンを置くことにしよう。


先週末、24シーズンVを制覇しました。

もう、病気の様に24を欲し、一気に!です。

内容は、まだ見ていない方もいらっしゃいますので、簡潔にしか触れませんが

やっぱり、やっぱり面白いです。

今更ながら、i-modeでサイトを教えてもらい、着信音を24モードにしました。

(i-mode苦手)

登場人物にオードリーという国防長官の娘さんがいるのですが、最高に綺麗です。

顔とかも確かにそうなのですが、ラインです。全体的ラインが綺麗です。

次?がもしあるならば、また徹夜で挑戦しようと思っております。


次にGOALですが、これも最高に面白かったです。

フットボールの好き嫌いに関わらず、映画として楽しめるのではないかと思います。

サッカーはテレビで見るのと生で見るのでは全然迫力が違うと良く聞きます。

しかし、生で見るのと、現場サイドで見るのとでは、さらに違うんじゃないでしょうか。

ピッチ上で選手同士がジョークを言い合ったり、罵り合ったりという事が日常茶飯事的に

繰り広げられます。まるで現場にいるみたいでした。

何十億も年俸をもらっている人達ですが、実はサッカー大好きの少年がそのまま大人になったみたいです。

自分も野球をしてましたが、スライディングでスパイクの刃を見せながらタックルしてくる輩もいたし、

わざとデッドボールを当てるなんて、本当日常茶飯事でしたから。。。


最後に、、写真も掲載してませんが、話題のダヴィンチコードも拝見しました。

結果、、、見てない方には大変申し訳ありませんが、 「つまらない」です。

終盤に睡魔が僕を襲い、気がつけばエンドロールでした。睡魔なんか吹き飛ばすくらいの名画だと期待して

いたのですが・・・。

あきらかに原文の方が面白い。まぁ、限られた時間の中にあれだけの情報量を入れようと思えば、

自然と急展開にならざるを得ないのは理解できるのですが、急すぎます。

まぁ、その分、もう一度読み直そうって思いまして、また上巻から読みはじめましたけど。

そういう意味では、相乗効果みたいな感じもありますね。とりあえず「火」は着きます(*´∇`*)



今、書き終わって思いましたが、週末、、、ほんと、暇だったんだなぁこの人。。   ←僕です。


聞こえてくる足音。


日が落ちる時間が早まり、夜が長くなる。


ふと空を見上げると、澄み切った雲ひとつない群青色のキャンパスに、

置いていかれた雲が、夕日が沈む光景を見ようと漂っていた。


四季の中で最も幻想的な情景を与えてくれる季節。

だが過酷で厳しい季節。


みなさんも、たまには時間を気にせず、上を向いて歩いてみては?


~Fin~

先週末の出来事、仕事を終え近隣の駅に着き、安堵感で満たされていた私は

いつものように改札を通り、帰路に着こうと思っていた。


下車した人だかりがエスカレーター上り口付近へ群がる。

ふと、2~3列前の女性、どこかに残る私の思い出の人に後姿がぴったりとはまった。

その女性のやんわりとした角のない雰囲気が、勘違いを確信に変える。


-こんなところに何の用だろう-

改札を通って、足早に過ぎる影を追う。

なかなか正面に立って、女性の表情を確認することが出来ず、後ろから声をかけた。

「すみません」

「はい?」

全く別の女性だった、思い出の痕跡は跡形もなく崩れ落ちる。

「この近くにコンビニはありませんか?」

目の前にコンビニがあるにも関わらず、愚問をしてしまった自分に腹が立つ。

「あそこに見えるのがコンビニです」

最後まで丁寧に答えてくれた人柄は、瓜二つなのかもしれない。


もし仮に、本人だったとしたら・・・一体、何を話したのだろう。

こんな落ちぶれた私を見て、良き思い出を群青色で塗りつぶす行為に他ならない。

ここで書いた過去ログのことをふと思い出す。

http://ameblo.jp/cm115202771/entry-10007738553.html





こちらでしばらく日記を、影ながら書こうと思っている。


また一つ、人の負の部分を見てしまった。

毅然と笑顔を振りまく一方で、別の人間性を垣間見た。

あの時の笑顔は心底から湧き出ていた笑顔なのか、それとも愛想なのか。

あの時のやさしさは慈愛に満ちたものだったのか、それとも単なるポーズに過ぎないのか。



ん~ん、難しい。実に深いテーマだ。まぁいいや。


mixiには顔を出すし、もちろん大好きなマイミクさん達の日記を読むのは大好きである私は

今後もコメントは残すし、足跡をドカドカと残していきます(*´∇`*)

でも、物書きはお休み。 私の負の部分しか見えないし、おもしろくないから。

こちらで、静々と嗜む程度に文字を接していきますゎ。


いやぁ、昔から理解しているのに、同じ過ちを繰り返す。。


『見なくて良い時があり、聞かなくて良い時がある

 だが、人間という生物に生まれた以上、不可能である』

2006.06.26 from hotoke


夢も希望も何もない、そんな本。


最後に勝つのは、堅気ではない。


右翼・警察・やくざが三位一体の関係である現場に居合わせた経験があるが

一昔前の自分の経験を思い出すような本だった。


「右翼」は、「警察」に強く「やくざ」に弱い

「警察」は、「やくざ」に強いが「右翼」に弱い

「やくざ」は、「右翼」に強いが「警察」に弱い



一生かかっても、その世界を見ずに朽ちていく人もいれば

若くして希望も夢も気泡と化す輩もいる。


爪先が触れたくらいで、身に沁みて感じる第三の世界。

膝まで浸かっていれば、確実に今、このBLOGを書いてないと

改めて実感する。


どれだけ足掻いても、出し抜こうとしても、気づいた時には掌にいるのだ。

法も秩序も関係ない、日本にもそんな日の当たらない世界があるのだ。


面白おかしく垂れ流れるメディアからの情報は一部に過ぎない。

歌舞伎町で人ひとり消えても、誰も気づかない。

東京湾の漁師は、意図しないものが釣れても暗黙の内にリリースする。

そんなものなのだ。この国は、そんなものなのだ。


いつしか、干渉を嫌う人間が増えたが、正義感は「死」を意味する。

無関係こそが「生」なのだ。

その狭間に、存在する世界があるのだ。


だが、あなたの近くでは、常に門が開いて待っている。

その錠前に手を伸ばすも伸ばさないも、あなた次第なのだ。

~fin~

幼い子供を寝かせる時、必ず言う台詞

「おしっこは?」



子供も大きくなり、孫ができ、家に遊びにくる。

娘は孫にこう言う

「おしっこは?」



昔は「一人親方」と銘打って、作業機器を操り、頑固な職人として、こだわりを持ってやってきた。

納得がいくまで作業を止めず、そのまま夜間に関東までトラックを運転し、材料を探しに出た

こともある。

中途半端が嫌いで、徹底して仕事をこなしてきた。


若い自分に鞭打った仕返しは、驚くほど早く振りかかり、今では足を一歩踏み出す事さえ儘ならない。

意識する事なく歩けた時代が懐かしい。

踏み出す一歩が出てこない、山ひとつ越える決断がいる。



天と地の違いを感じる。

空虚な心が、頑張ろうとする芯に突き刺さる。

情けないという感情が一日でも和らぐ日はない。


定期的に紙おむつを替えてもらう、介護士さんはこう言う。

「おしっこは?」


~fin~




参考にした原文


「おしっこは」と我が子に言った、数十年前。

「おしっこは」と言われる現在

天と地の違いがあり

あぁ情けなや情けなやと

涙する今日この頃


介護士をする知人の祖母が、祖父の言葉を書き綴ったものです。

驚く程切なく、空しく、儚く、哀れむ感情が同時に湧き出ました。

読んだときに思ったのは、

とても熱く、とても恐かったおじいさんの覇気のない、しょんぼりした姿が

目に飛び込んできたのが、とても印象的でした。

明日の我が身という確率もゼロではない訳で、でもあまりにも遠く離れた世界のような気がして

変な感情が湧き、絶句したのを覚えております。