屋島の相引川

 

昔、屋島は島で、南の方も海でした。

江戸時代の初めに埋め立てられ、川のようになりました。

 

引き潮の時、東西両方に潮が流れるようになり、相引川と呼ばれるようになりました。

 

また、源平屋島合戦のおり、ここで両軍の勝敗がつかず共に引き上げたので、相引川と呼ばれるようになった・・・ともいわれています。

 

 

 

相引川にかかる橋は 「東照宮橋」 です。

昭和36年3月竣工

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相引川、川沿いの花。

 

野バラ(ノイバラ)

 

 

 

 

 

ナヨクサフジ

ナヨクサフジの名の由来

 

草藤… 花の並び方が、藤の花に似ているから。 

ナヨ… 茎が巻きひげで他物に絡みつき蔓状に伸び、ナヨナヨしているように見える。

 

 

 

 

根に根粒があり、土壌を肥やすはたらきをすることが知られている。(緑肥)

 

緑肥とは、作物を畑で育て、土にそのまますき込むことで肥料分になったり、有機物として土壌改良に役立つ草の肥料のこと。

 

その他緑肥

レンゲ、しろつめ草、ひまわり、マリーゴールド等。

 

 

 

 

1947年(昭和22年)古地図

正面より左右 ・・・ 塩田だった。

出典:https://ganbaro-yashima.jimdofree.com/古地図/

 

 

 

2020年 

出典:google地図

 

 

 

 

 

登山者と、お遍路と、ランニングしてる人…

マスクマナーを知らない人が多いようなので、ウォーキングする方は、気を付けてね。