2020年 元旦
屋島登山道(遍路道)誘導案内板
合流地点まで約850m
屋島登山道(遍路道)誘導案内板
合流地点まで あと700m
イノシシ注意
讃岐岩質安山岩の水平方向に発達した板状節理(ばんじょうせつり)で、厚さ2~5センチの板が積み重なったように見えるもの。
畳石の名の由来は
西行法師の「宿りしてここにかりねの畳石、月は今宵の主ならん」という歌からきていると言われている。
板状節理
岩体が板状になった節理。岩石中に発達する平らな板のような規則正しい割れ目。
節理とは
岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの見られないものをいう。
なお、割れ目の両側にずれが見られる場合は断層。
およそ1400万年前の中期中新世に火山活動により噴出した溶岩が水平に流れ出し、その後周囲と上部が開析を受けて形成されたもので、メサの標式的地形として知られる。
頂上まで200m
屋島寺
屋島の南嶺山上(香川県高松市屋島東町)
真言宗御室派の寺院。
四国八十八箇所霊場の第八十四番札所。
← 屋嶋城跡 城門
昔懐かしい 木の電信柱
西暦663年(天智2年)白村江はくそんこうの戦いで
百済を救援する為に送られた日本軍(大和朝廷)は、唐・新羅連合軍に大敗しました。
これを契機とし、唐・新羅の侵攻に備え、対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた様々な『防御施設』(古代山城 朝鮮式山城)の一つが屋嶋城です。
日本書紀の天智天皇6(西暦667)年11月の条
「倭國高安城(やまとのくにたかやすのき)、讃吉國山田郡屋嶋城(さぬきのくにやまだのこおりやしまのき)、對馬國金田城(つしまのくにかなたのき)を築(つ)く」
(※倭國→現在の奈良県、對馬國→現在の長崎県対馬市)
屋島城は、政権基盤の宮都を守る高安城、国土領域を守る最前線の金田城とともに、瀬戸内海の制海権を守る重要なポイントとされている。
との記載があります。
平成10年2月
南嶺山上部近くの西南斜面において石積みが発見されたことを契機にし、南嶺北斜面・南斜面で確認されていた土塁と関連することが分かり、東斜面でも同様の地形が確認されたことから、山上部付近の斜面に断続的ながら古代山城屋嶋城の外郭線(防御ライン)が巡っていることが判明しました。
約14年におよぶ発掘調査により、その全体像が少しずつ分かりかけています。
屋島は名前のとおり、古代において島でした。
埋め立てされた土地
屋嶋城の城壁は山上を全長7キロメートルに渡ってめぐらしていたと考えられていますが、そのほとんどは断崖絶壁で、自然地形を最大限に活用した古代山城と言えます。
屋島は北嶺と南嶺と呼ばれる2つの山から構成されていますが、城壁などの遺構は南嶺のみで確認されています。
また、北嶺と南嶺の間の西側には大きな谷があり、標高100メートル付近に山上の城壁とは別に城壁が築かれています。
果てしなく階段…
さて、次は、対馬と奈良か!?
因みに対馬ですが、現在…
対馬ツアー 絶賛キャンセル待ち中でございます。
…去年から。
お一人様ツアー(安価)、あまりないのよ。
個人で行くと、移動に困るのよ。色々面倒。
ま、暖かくなったら、まず奈良に行こうっ
日本書紀の天智天皇6(西暦667)年11月の条
●香川県高松市の屋嶋城やしまのき
瀬戸内海の制海権を守る重要ポイント。
●対馬の古代城 金田城かねだのき
国土領域を守る最前線。
金田城は日露戦争前夜という国際情勢のなか、再び要塞として整備され、巨大な砲台が据え付けられました。
●奈良の古代城 高安城たかやすのき
政権基盤の宮都を守る。
奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市にまたがる県境の生駒山地の南端部に位置する。
2016/3/26ブログ 屋嶋の城やしまのき☆