トプカプ宮殿

 

トプは大砲、カプは門という意味。

ボスポラス海峡を警備するため大砲が備えられていたことから名づけられているそうです。

 

 

 

トプカプ宮殿 皇帝の門

 

 

 

トプカプ宮殿 挨拶の門(送迎の門)

 

ここを馬に乗ってくぐれるのは ・・・ 歴代皇帝スルタンだけ。

スルタン以外は、ここで馬から降り、進みます。

 

 

ハーレム

 

アラビア語のハラム(聖域)

ハラーム(禁じられた)を語源としています。

 

*ハレムにいる男性

・ハレムの警備はエジプトから差し出された黒人で宦官

 

白人宦官…内定で政治的な仕事

黒人宦官…ハレムに関する仕事

 

・小姓はキリスト教徒の師弟から選別された頭脳明晰・美しい少年達。将来、帝国の幹部になるべく教育を受けている。

トプカプ宮殿のハレムには、スルタンと黒人宦官しか出入りできません。

 

*ハレムの女性

スルタンの母、妻達(男の子を産んだ順番)、その他の女性が住んでいます。

 

ハレムで生き抜くためには、スルタンの寵愛を得ること。 

スルタンのお目に適うよう、女性たちはその色香を競い合う。 

そして王子を産んだ女性のみが妃の称号。大奥に似ていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドーム部分の内側はタイル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハレム 帝王の間

 

食事は二重越しのドアから運ばれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王子達は乳離れをすると、母親と離され、すぐに後宮の中にある「黄金の鳥かご」と呼ばれる、外界から隔離された区域に幽閉されました。(跡目争いを防ぐ為)

 

先代のスルタンが亡くなると「黄金の鳥かご」の中の最年長の王子が次のスルタンとなる制度。 (年長から順番)

黒人宦官とのみ接し、「鳥かご」の中で帝王学を学ぶ。 

 

 

 

窓枠の針金細工は、外界との遮断・逃亡防止の為

…との事。

 

 

 

 

 

奴隷の中でも、特に寵愛をうけていた女性は側室として部屋を与えられていたようです。

一階は、その侍女の部屋。

 

 

 

 

 

 

 

側室となった女性も、もとはすべて奴隷市場で売られていた少女達です。オスマン帝国は民族による差別はなかったので、奴隷商人から売られて様々な国や民族の女性がこの宮殿に入ってきました。 その天涯孤独の少女たちを側室にしたのは、妃の一族が権力を持つことを避けるため。オスマン帝国が弱体化する要因は作らないという理由だったのです。 イスタンブールの奴隷市場から連れてこられた少女達は、各所におかれた宮殿の一つで、宦官によって、歌舞音曲、礼儀作法、料理、裁縫、アラビア文字に詩や文学などあらゆる教養を身につけさせられました。その後トプカプ宮殿のハレムへ移され、地位を得ていくのです。

出典:https://www.travel.co.jp/guide/article/11320/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

700年間生きている、

 

このスズカケ(プラタナス)の奥側に

トイレがありますが、まぁそりゃ、ものすごい列…気が遠くなっちゃう。

実は最寄りの門(幸福の門)右内側に女性トイレがあります。

あまり知られていないらしく、空いていました。※ここ場所重要

 

 

 

 

 

 

 

各国の陶芸品が展示されています。

 

 

※スルタン

イスラム教国においての君主の称号。帝国の皇帝。国王。

 

※宦官(かんがん)

去勢され生殖不能状態にされた官吏。

宦官について:https://matome.naver.jp/odai/2137594067359550901

 

さて、長かったトルコの旅は、これで終了です。

バスの車掌から…

 

 

 

 

 

空港です

 

 

 

 

このような座席になってしまいました。

手荷物を置く場所がありません。

隣の方のご厚意で椅子の下に置かせていただきました。

とほほ…

 

 

 

 

 

色々と、トラブル続きで ストレスだらけの旅行でした。

旅行だから、非日常だから、料金を支払っているから…と知らず知らず、分をわきまえていなかったに違いない。

心構えが、甘かったのかもしれません。

と少し反省。

 

・10月6日 シリアから米軍撤退決定。

・10月9日 トルコによるシリア北東部への侵攻。

・シリアは「皆殺しにされるなら・・・」とロシアを後ろ盾に。

無事に帰れたことに感謝。