ロブスターサンドが好きすぎて、難波に行きたい気持ちでいっぱいですが、名古屋にもあると言う情報を得て検索したところ…閉店らしい。

余計に食べたい気持ちが高まりました。

 

予算的にもアレなので…今回は自分で作ろう

…似たやつ。バナメイエビ※1サンド。

 

※1 クルマエビ科に属するエビの1種。東太平洋原産で、食用として広く漁獲・養殖されている。

 

まずは コッペパン焼くんだっ!

 

コッペパン

スガマリちゃレシピhttps://cookpad.com/recipe/3152428 

材料 (6個分) 

強力粉 200g 

薄力粉 50g 

砂糖 30g 塩 4g 

バター 20g 

牛乳 90cc弱 

水 90cc弱 

ドライイースト 3g 

 

2時発酵後、表面に薄く牛乳(分量外)を薄く塗り、予熱した170度のオーブンで、11分〜15分焼きます。

 

 

コッペパン 形状はフランスの「coupé(e)(クッペ)」パンや、アメリカ合衆国などで見られるホットドッグバンズ(英: hot dog bun)と似て紡錘型。明治末期にアメリカでパンの製法を学び、大正時代にイーストによる製パンを日本で初めて開発した田辺玄平(たなべ げんぺい)によって考案され、日本独自の発展をしたパン。

 

田辺玄平

明治43年帰国当時、日本には冷蔵庫が無く、生イーストの管理がほぼ不可能であったため、私財を投じドライイーストの研究に励み、大正2年東京下谷黒門町に食パン製造工場を創設し、大正4年「玄平種」を完成させる。

 

玄平種の使用により、パン種作りの職人がいなくとも誰でも製パン業が営めるようになり、同業他社の競争激化が続出することになるが、発明者田辺の目的はあくまでもパン食の普及であった。

 

田辺玄平の理念 

・食糧問題の根本的解決はパン食の普及にあり。 

・パン食の普及はパン製造法の改善にあり。

・パン食に慣るるは国民の義務なり。

 

玄米パンを普及することによって脚気予防パン食普及

 

日露戦争による脚気研究の向上。

大正7年米騒動

代用食として東京市市長田尻稲次郎に豆玄米パンを奨励。豆粕食の普及を進言。

太平洋戦争中 主食の配給制(1個が1人1食)

 

学校給食とコッペパン

米飯の場合は、米を炊き、運搬、昼食時まで保管、配膳、食後は食器を洗うという、厨房設備の整備と、多くの手間が必要。

コッペパンはそれらを省ける。

・町のパン屋に委託でき、また子供でも取り扱いが容易。

・衛生的で、トータルコストも低く済ませられる。(安価) 

・栄養的で食生活の改善に役立つ。

 

終戦直後の食糧難の時代に、進駐軍が小麦や脱脂粉乳を放出していて(ララ物資)、国産の米穀よりも入手が容易で、安価だった。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/コッペパン

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/丸十製パン

 

話方が上手で、説得力があり、信頼できる先生に、日本人って素晴らしいのよ…的な話を聞かせてもらっていたら、コッペパンを親の仇のように嫌う事もなかったかもしれない かも。

(毎回、給食を残して、立たされていた)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このレシピ、美味しすぎて、もう夢中。

(((o(♡´▽`♡)o)))