独断と偏見で語る直江兼続



城主政景の事故死のあと、10歳の喜平次が家督を継承して坂戸城主となる。
そしてほぼ同時期に、喜平次は上杉謙信の養子になり、
名を上杉景勝と改める。



それから約10年、与六は城主景勝とほぼ同じメニューで、
漢文や歴史の勉学に、武士としての訓練に、上に立つものの帝王学にと、
負けん気の強さで修練を受けきるのだ。


もちろん2人で、相撲を取ったり、鬼ごっこをしたり、喧嘩もしたことであろう。



この10年こそが、2人にとって生涯で一番充実していた時期であった。
(希望にもあふれ、勉学や訓練もすればするほど身につき、
自分自身の可能性と成長を実感できたことであろう)



そして、
天正元年 (1574) 15歳になった与六と20歳になった景勝は、
生まれ育った思い出の地、上田坂戸城を出て、春日山城へ入ることになる。



坂戸城を立つ前夕、2人っきりで見晴らし塔のもとで、
かの有名な「坂戸城の誓い」をするのである。


黒くなった魚沼連山の夕焼けを背景に、生涯の主従を誓い合う。