独断と偏見の日記帳 -32ページ目

独断と偏見の日記帳

国際結婚した男の日々の言いたい放題のブログです。

 予想通り、東電の社長が被災地を訪れたら、非難の嵐だった。


 まあ、被災者からすればいろんな思いが交差し、言いたくなることも分からないことでもない。しかし、これをこのまま続けていていいのだろうかとも思う。


 「土下座しろ!!」といった被災者の男性の声も分からぬでもないが・・・果たして、その男性の気持ちがそれでおさまたったか、というと決してそうではないだろう。


 私の独断と偏見から言わせてもらえば、そんなことをする、させるよりもより、東電に協力し、この危機をどう乗り切るのかを議論すべきだろう。批判、批難からは何も生まれない。


 東電社長や幹部を非難すれば、左翼マスコミのいいニュースソースになるだけでなんの得にもならないし、日本の活力を減退させる要因にもなる。


 それを一番喜ぶのが、共産党と社民党の左翼連中だ。彼らにとって、この災害は、民主党の批判もできるし、自民党の批判もできる。そして、過去のあることないことを持ち出して自分たちの勢力拡大を図ることは見え見えなのだ。


 とはいえ、昨今の状況は、必ずもそうではないが・・・・。


 毎回思うことだが、日本の場合、説明会を行っても結局は、聞く側の非難だけで終わってしまい、建設的な話し合いができないで終わってしまうことが往々にしてある。


 これを、無くさないと、より日本の復興は遅くなるばかりだ。


 阪神淡路大震災は、政府や行政に文句をいいつつも自分たちで立ちあがろうとした。行政からのなんらかの支援を待つよりもまずはできることからコツコツと・・・・。その後に政府や行政が追随した。というより、応援した。これが、日本のいいところでもあり、悪いところでもある。スタート出しは、必ずしも速いとは言えない。しかし、この日本人特有のコツコツ感は、日がたつにつれて、スピード感がアップする。


 これが欧米との違いだ。欧米は、政府がほとんど支援するのが当たり前になっている。が、貧しいものはそのおこぼれに会うくらいで、政府の援助はすくない。その代り、富裕層(億万長者)が正面きって援助に当たるこれが、資本主義の原理原則的なものだろうと思う。


 つまり、自分で動くことがない、社会でもある。ただ、援助をうけるものは、そのまま満足してしてしまう傾向にある。


 私は、文句や批判するよりもまずは、この生活をどうしたいのか、ここで問題なのは、現状に戻せ、というのは目標としてはいいが、現実問題として無理がある。


 じゃあ、どうすればいいのか、を議論すべきだろう、ただし、そこで言えるのはまずはお金の話だ。しかし、それも結局は限界がある。


 東電も資金力には限界がある。すべてを国や東電に任せるのはいかがと思う。


 ならばどうするか??、それが問題でもある。


 それをどうするかを考えるのかが、これからの生活支援でもある。被災者もできることから始めるべきだろう。


昨日は、憲法記念日。



 いろんなところでそれに関する講演会、イベントが行われた。



 3月11日に起きた東日本大震災で問題になったのは、政府の対策の遅さと、自衛隊や在日米軍の活躍で見えてきた現憲法のおかしさ、不備、そして、戦後65年もたって一度も改正されたことのない憲法に対する日教組を中心とした教育の在り方だった。

 まあ、平和憲法といいながら、現実もんだ首をかしげるものもある。過去の歴史を振り返れば、それもあろう。だが、時代が進めば、その時代にあうよう改正していくのが本当のところだろう。

 あのフィリピンもなんども改正をしている。韓国なども何度も変えている。しかし、改正していないのは日本だけではないのか。基本法として改正しないところもあるが、それでも法律という形で改正していくところもある。

 しかし、日本の憲法が異質なのが、国が国家的危機的状況に陥ったとしても、それを定める法律や憲法的位置づけがないというのだ。

 米国や英国などは、まっさきに論調のなかに「国家非常事態宣言がされないのは、なぜ??」というものだった。しかし、日本にはそれを定めるというか、設置するという法律もなければ、憲法もないというのだ。

 正直、私もこれには驚いた。さすがに平和憲法といえどもそれくらいは・・・という思いだったのだが、改めて考えると自民党政権時にこれを憲法に入れようかという議論があった時、まっさきに反対したのが、テレビ朝日、TBSが強硬に反対キャンペーンをはり、民主党や公明党が反対に回った。その理由が、かつての秘密警察を生んだ悪名名高き法律を想起させるから辞めろ!!という大合唱の嵐だった。そして、それは今回の東日本大震災で民主党政権の体たらくとなってあらわれた。

 百歩譲って、改正されなかったとしても自民党政権なら間違いなく、いまの民主党政権よりも順当に災害対策はとられていただろうと思う。

 まあ、テレビ朝日がその陣頭指揮をあたったのだから、その責任を撮ってもらいたいのだが、その気はまったくない。そして、のうのうとテレビ放映をしている。これはいかがなものか。

 戦後65年、まさに変えるときに来ているのではないだろうか。

 今年の各地の夏の花火大会は、どうなるのだろうか・・・。


 東京湾大花火大会は、早々に中止になったが、日本の歴史の中で、花火大会の位置づけは大きいとろがある。


 たとえば、疫病や災害への鎮魂を込めたものなども多い。


 近年の観光用イベント用の花火大会は、今回のような震災で中止は当然の流れだし、そうすべきだ。


 しかし、百年以上の歴史を誇るところは、そもそもの出発点が違う。そうであるからこそ中止すべきではない。


 隅田川の花火大会は、そもそもが川開きと疫病などで亡くなった人を鎮魂する意味で開催されたのが始まりだ。


 だからこそ、今年がまさにその本来の姿なのかもしれない。


 隅田川の花火大会は、正直開催してほしいと思っている。

 下馬評とはあんまりあてにならない・・・というわけではないが、昨日のショートで、キムが首位で浅田が7位に、結局、キム対浅田の決戦は、キムに軍配が上がったようだ。それに7位では、優勝は難しい。


 と、思っていたら、苦悩してきたジャンパー姫こと、安藤美姫が2位に浮上。さらにキムとはわずかの差・・・・。


 正直、キムの表現力は、韓国人特有の感情表現のうまさというか、韓国人の喜怒哀楽表現は世界でも右に出るものはいないのではないか。とくにライバルが日本となると病気ともいえる感情むき出しで、やってきて、勝てば、大喜び(完全に日本をバカにする根性が出来上がっている)する。表面上はそういうのはないが、内面ではふつふつとそういうものが植え付けられている。


 まあ、韓国国民というのは、やはり、どんな時代でも利用されやすい国民なんだというこが分かる。本当に残念だ。


 とはいえ、キムのあとにキムなし・・・・だが。


 さて、ここで安藤には優勝してもらいたいものだ。あれだけ、苦労してきたのだから、とにかくジャンパー姫から、いろいろあったのだと思う。


 激しい恋もしたのではないか。正直、あの表現力の進歩の速度は半端じゃない。妖艶さみたいなのが備わってきた。さいごの憂いを帯びた目線などはぐっとさせる。


 日本人は得てして表現力に関しては下手の部類に入る。


 東日本大震災でみせた東北人の、本音を隠してというかぐっとこらえて、先に進むてきなものがある。


 韓国人にしてみれば、それがもどかしいらしい。


 まあ、こうした大震災とかでの感情表現をあらわにすることは、一見するといいことのように思えるのだが、国によってそれを嫌がるところもあるのも事実で、今回の日本が見せた姿は、世界では成熟した国民性としてとらえられたようだ。


 ということは、韓国人は成熟していないということなのか・・・。


 ただ、感情表現とかを表す、スポーツではそれが武器になる。天性的に備わっている選手とそれができない選手ではおのずと時間差ができてしまう。


 日本の場合は、そういう経験をしないと韓国人の様な表現はできない。というか、太刀打ちできない。

 

 さて、日韓の対決は見ものだが、忘れてはいけないのは、このままでは欧州が黙ってはいまい。男子は、日本が台頭しているとはいえ、いまだ欧州勢の勢いは衰えていない。


 もし、キムが勝ち続けるようだったら、残念ながらソチ五輪からアジア勢が排除される懸念が広がってくるのは間違いないだろう。

 いやー、やっぱ、すげー。


 日本の土木というか、交通網の復旧技術は。


 高速道もわずか数週間で開通させ、こんどは50日で新幹線を復旧・・・。


 この鉄道の復旧について、世界的にも古い鉄道網をほこる英国鉄道関係者も舌を巻いたという。


 たしかに普通にみればこんなことは、考えられないとのこと。


 欧州の鉄道技術者ですら、欧州でもこんなことはあり得ない・・・と。のべ3000人にも上る鉄道マンたちが、曲がった線路をひとつひとつ、ハンマーでガツン、ガツンと修正していったとのこと。それで50日で復旧させた。


 今回の出来事は、逆にこれからの新幹線の売り込みもスムーズになるんじゃないか。


 隣国のなにかと歴史に文句を言っている某国とは雲泥の違いだ。


 

 このところ、地震の関係上、どうもそうしたニュースが多くなっている。


 ところで、あのソニーPS3のユーザー情報がハッカーによって流出した可能性があるという。その数ざっと7700万人とか。


 このことをもっと早くユーザーに報告しなかったのかと、問題になっている。まあ、確かに15日くらいから一週間ほどかかったというのだから欧米連中が文句を言うのもしょうがない。


 そこで、昨年のトヨタリコール問題(これは単なる嫌がらせであって、リコールってな問題でもなかった。結局、米国の3大自動車メーカーが仕組んだんじゃないかとまで、言われいつの間にか消えた)や東電の原発問題と絡んで日本の企業イメージを悪くしていると言う。


 でも、あえて考えてみた、果たしてそうなのか??と。


 そもそも日本人の性質は、はやさよりもそのきめ細かな分析と情報公開を臨む傾向にある。


 ただし、日本人が求めるのは直後の情報よりも、「こうこうこうで、こうでした」方式で、欧米型の「こうおこりました、しかし、こうです」式な速さや効率を求めるものだ。


 私は、正直言うと、速さにこしたことはない。しかし、だからといって、正確性の欠くものをだしてもそれはそれでもんだいでもある。


 ただ、ひとついえるのは、欧米人と日本人では決定的に違うものがある。


 それは、欧米人は、とにかく早い情報で、知らせ、例えそれが間違っていても文句は言わない。逆に「よかったね、そうらなくて」といい方向に捉える傾向にある。そうはいっても逆な展開、つまり良い展望を語っていながら、そうならなくて悪くなった時は、その批判は大きいものになるが・・・・。


 一方、日本人は、とにかく間違いを許さない、というか、早くても間違っていれば文句を言う奴らがいる。つまり、反政府を掲げる、社民や共産党などの左派勢力だ。過大な情報を出しても何か言われる、さらにその逆でも言われる。


 そうなってくると、結局、企業側はどうするか、正確な情報が分かるまで、情報は出さない。出しても経過だけ。という流れになる。


 しかし、遅いのではなく慎重とでもいうべきか、徹底的に分析することによって、時間はたったものの最も精度のいい情報を国民に知らせることになる。


 意外に知られていないのだが、地震や大災害に起こった時、日本政府や専門家は、徹底的な分析と対策、傾向を調べつくしている。


 このことは、本来なら日本のマスコミ、とくに雑誌ではない、テレビマスコミがしていかなければいけないのに、自民党政権のときは、それを全くしてこなかったし、政府を評価するということを、すること事態、悪いことで、政府は批判しなければいけないものだというものになっていた。


 いいときは、評価し、悪い時は徹底的に批判する。これは、欧米のマスコミの体質だ。時は、政府を評価しなければ、国民は政府と言うものを信用しなくなるし、政治に対してもいい思いは抱かない。


 日本のマスコミも少しは考えないといけないのではないだろうか。

 今回の地方選挙後半戦も、ほぼ民主党の敗北となった。生き残ったほうも民主党ということを隠して、なんとか当選した議員もいるとか、いないとか。


 うんで、国政もその影を落としている。


 その元凶が管総理・・・という結論になっている。


 しかし、国民の中には、こんな状態なのに、政局をやっている場合か?という声があがっているとか。まあ、かつての自民党政権ならありえることだ。だが、今回の場合はどうも管総理自身にあるとか。


 なにせ、人の意見を聞かない、というのだ。まず、アドバイスをしても自分の意見を押し通して、満足する。しかし、それがうまくいかなくなると、「なにやってんだ」と怒鳴り散らす。そのくせ、自分が思いついたことを、次々と立ち上げるが、結局、乱雑、煩雑になるだけで先に進まない。


 それが、さきに進まなければ、進めなければ、文句をいって切れる・・・・。


 話し合いにならないんだとか。


 管の性格的欠陥ともいべきか、革命家につきものの自分よがりな意見を並べ立て、それでうまくいかなくなると、すぐキレる。暴力をふるう。テロを起こす・・・。


 だから、与野党ともあきれているというか、切れてイライラする、いら管というあだ名まで付けられている。


 野党の時は、それでもいい。しかし、与党となれば、それでは問題だ。


 だから、ケンカ腰になり、相手は嫌になる。革命家、市民活動家はそうさせるのがうまい。いつしか、自分が原因なのにいつの間にか、自分が被害者だにすり替わる。そして、政権の延命に努める。そして、そのまま任期満了に。


 その結果、日本国の国政はにっちもさっちもいかない状況に追い込まれる。しかし、管自身は、議員を引退し悠々自適の生活を海外、とくに中国でおくり、日本を売り渡す・・・。


 管ならそういうことをやりかねない。有権者は、こんな国会議員を生んでしまった責任を取らなければいけないだろう。


 それができるのなら、それは次の衆院選で管を落とすこと。しかし、それができないのなら、民主党には投票しないこと。管の選挙区の有権者は、その責任の重さを痛感しなければいけないのではないか。あまりにも日本人にはそれが無さ過ぎる。


 今回の国政の混乱は、とりもなおさず、有権者の責任だということを感じなければいけないのではないかとおもうのだ。

 原発の事故で改めて考えさせられる電気利用の在り方。


 この頃、太陽光発電の充実を考えるようになった。


 ソーラーパネルを使った自家発電というのをもっと普及すべきではないのかと。つまり、新築・改築のときセットで太陽光発電用のソーラーパネルをつけることを義務付けてはどうか。


 また、オフィスビルの工場のタイルや壁とかに太陽光を吸収し電気に転換できるようなシステムの構築も必要なのではないかと。

 

  地熱発電というのがあるが、結構、夏の外壁は熱いもの。これを、電気に転換できるようになればビルの自家発電能力も高くなるのでは。


 さらに、駅や地下通路などは間接照明で、壁の反射を利用した明るい通路をつくるのも一つの手でもある。


 そのほかにも小さいながらも風力発電を高層ビルの屋上に設置してみてもいい。


 また、高層ビル群につきもののビル風を利用した風力発電もいいのではないのか。


 アイデアはたくさんある。しかし、いずれも原発のあのとてつもない発電力に匹敵するのは難しいかもしれない。


 とはいえ、一軒一軒、ひとビル、ひとビルにこうした個人、ビル電力施設があれば、原発の機能を少なくとも機能を低下させ休ませることができるのではないのか。


 廃止はできないまでも減らすことができる。日本は火力、水力、原子力の三竦みシステムから自然力(太陽光、風力、地熱など)を加えた4本柱で電力をまかなえばいいシステムの構築を早急に整備すべきだろう。


 



 あー、やっぱりという感じ・・・・。

 なんで、韓国って、「~でなければならない」式というか目線になるのか。中国ではこういう検定話は、どこ吹く風のようなところがある。というか、やはり大国だな~って感じで、悠然と構える風がある。そして、ちゃっちゃと、「自分たちでやりまーす」「やっちゃいますよ~」てな雰囲気があるし。

 韓国って、こういう態度だから、嫌われているというか。しかし、日本も日本で、政治と観光、エンタメなんかは別という雰囲気で、何が何でも韓国嫌いというわけではない。この柔軟性は、世界のどの国を見てもあんまりないだろう。ある意味、自由というか・・・。

 はっきり言ってしまえば、韓国は肝が小さい。だから、大国に翻弄されるし、大国の思惑に翻弄されるのだが、いまだにそれが分かっていないし、歴史と声高に言う割には、過去の歴史と同じことを繰り返している。日本は、小さいところと腹をくくるところもある。そういう純粋な部分もある。

 いまも、他国のやりかたに干渉しているし、そのくせ、都合が悪くなると内輪もめ・・・・。ことが成ってからでしか意思統一できない。

 ある人物が言っていたが、韓国でこの状況だと、もし北朝鮮を経済的理由で統一しても、民主的な選挙をやったときばらばらで統一できない韓国側大統領候補とばらばらにならない北朝鮮側の大統領候補が選挙したら、北朝鮮側の大統領が勝ってしまうのではないか、と。

 韓国国内にも親北朝鮮派いるわけで・・・そんな連中が、まとまったらどうなるか??。おのずと分かるものだ。

 福島原発の事故で原発に対する反対運動が過熱している。


 そして、日本には「原発がないと生きていけないような、考えがいまだに縛られている」という反原発論者の声が多数出ている。


 そして、必ずドイツを例に反原発を唱えている。


 私は、この人たちの意見には反対だ。確かに原発は危険だ。しかし、果たしてそれが事実なのかどうか。フランスはどうなのか。世界で第2位の原発を保有している。しかも、人口は1億にも満たない。ましてや、ドイツはフランスから電力を輸入している。


 結局は以下の記事に

 http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20438020110405


 そのフランスは、原発を利用して隣国に輸出している。ドイツの様な論理でいけば、フランスは危険な国ということになる。ということは、ドイツがいっていることは論理破綻しているということだ。脱原発といいながら結局、原発を利用しているフランスから買っている。風力、太陽光も頑張っているが、原発をしのぐほどではない。まあ、ドイツは人口が少ないことから、いまのままでもなんとかやっていけるだろう。


 それを1億2千万人、GDP3位の日本がやっていけるのか・・・。

 

 原発反対論者に多いのは左翼思想者特有の僻み根性丸出しの分析だ。原発は、こうだからこうでだから危険なんだ。という論法で終わり。

 じゃあ、原発を無くした後、日本はいいけど世界は・・・となるとまったくもってその意見を聞いたためしがない。


 必ず、こうでないといけないとかいうけど具体的な案件は全く聞いたためしがない。


 具体的にどういう風な生活をすればいいのかが欠如している。そして、それはいまの生活水準を下げるということだ。


 果たしてできるのか。原発ほど、批判は簡単だが、実質がともなわないものはない。