日本と中国の相違  生命体系の大樹としての血縁意識 | 想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

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ところが、中国は歴史上その統治理念である王道を一度として具現化し得なかったのであります。

我が国では、家族の理念である孝が、直接の血縁関係を超越して、親である天皇に対する国民の孝、則ち、『大孝』へ至り、『忠』へと結実した。曰く、『孝、野にあって忠』を実現し得たのに対し、中国ではそれができなかった。

孔子の徳治主義と言えども、残念ながら理念にとどまり、現実としての社会規範には成らなかった。

従って、王道の華である礼楽は言うまでもなく、時処位に即する名分に致しましても、長年の歴史伝統に培われた血の本源的要素として確立されることはついに無かったのであります。

では、中国は何故、王道を具現化することができなかったのでしょうか。

それは先ず第一に、中国は国家の中心人格としての天皇を持たなかったからであります。

確かに、中国においても一時的に有徳なる支配者が現れた時期はありました。しかし、世の中が乱れるたびに支配者が力によって打倒されることを『革命』と称して正当化し、新たな支配者の下で一から社会的基盤を作り上げていかねばならない国に於いて、どうして孝が忠にまで至れるのでしょうか。

どうして、天皇のような歴史的一貫性のある中心人格が持てるのでしょうか。

しかも、革命期の荒廃した状況を建て直すために、民衆は経済復興に全精力を傾けますので、どうしても物質的繁栄に目を奪われて、生命結合としての真の幸福には目が向かないのが現実なのであります。

従って、国家建設の歴史が寸断されて来た中国に於いては、人らしく生きる規範としての礼楽もまた、国民の切なる願いとして、持続性、永続性を持ったものにはなり得なかったのであります。

またさらに、時処位に帰来し各々が名分を自覚すると言いましても、お互いがお互いの意見を吐き合うという立場を採りましても、それが体系化へ至るためには、どうしてもそこに中心人格が必要である。天皇を持つ必要がある。

この中心人格あってこそ、民主主義が民主主義として成り立つのであります。

先に申しましたように、、、、   続く