今日は終戦の日。日本という国のために傷つき、斃れた人たちのことを思わずにはいられない日だ。この日はお盆とも重なって、先祖や亡くなった人を特に身近に感じる日でもある。僕の父方の祖父は終戦の直前にフィリピンで戦死した。終戦間際のフィリピン戦線はもはや玉砕に近い戦いであったから、数多くの人が斃れ、その屍はフィリピンのジャングルに溶けていった。祖父ももちろんその骨があるわけでなく、小隊において戦死が確認されたという書類だけの死であった。

そんな父方の実家に遊びに行くのが少年時代の夏休みの大きな楽しみであった。少年時代の夏の記憶は父の田舎の景色だといっても言い過ぎではないと思う。「ぼくのなつやすみ」さながらの世界がそこにあったわけだ。

祖母が昨年末に亡くなり、今年の夏はいわゆる新盆ということで数日間、父の田舎である岡山を訪ねた。葬儀やら法事やらで今年はすでに何回も足を運んでいたものの、やはり「夏休み」に行くというのは何か感慨深いものがあった。少年時代のドキドキした気持ち、どこか遠くへ冒険をしにいくような気持ちを今でも感じることができたことがとても嬉しかった。

東京近郊に住んでいた少年時代の僕にとって、岡山の田舎は本当に遠い場所だった。そこにある自然、祖母の優しい笑顔、やんちゃないとこたち…。そのどれもが日常から大きくかけ離れた夢のような世界で、少年時代特有の冒険心と好奇心とあいまって、それは本当に美しい思い出だったんだと思う。

月日は流れても「夏休みに田舎のばーちゃん家へ」というイベントを思うと、胸がきゅんとした。それは僕にとっての旅の原体験でもあり、原風景でもあった。だから京都の大学に入学してからの夏休みは自然と中国地方に足が向いた。中国山地を駆ける鉄道に乗ることが学生時代の楽しみであり、少年時代の記憶を辿る旅でもあった。ただあれだけ遠く感じた場所へ、比較的簡単に行けるようになってしまったことだけがほんの少しばかり寂しくもあった。ただ―ただそれでも少年時代の記憶は優しく心の中に生き続け、その記憶を少しでも触れたくて僕は旅をした。

その学生時代からもどれだけの歳月が経っただろう。歳月はみな平等に訪れる。自分だけが記憶の中に生きていても周りは決してそれと同じではない。久しぶりに会う人間の変化は時に切ないものだ。ただそれが流れていく時間の中で生きている僕たちにとって至極当然のことなのだ。

それでも、かつて夏休みに過ごしたようなドキドキ感は失われていないと僕は思った。ひょんなことから花火をすることになって、いい大人が無邪気に楽しむことができて、僕はそれだけが嬉しかった。あの頃と違うことがあるとしたらビールでほろ酔いだったということくらいかもしれない。空を見上げたら見たことも無いくらいの、いやあの頃に見たはずの星が無数に煌いていた。このまま時間が止まればいいと思ったのは嘘ではない。

夏という季節は大人になった今でも何か起こりそうなドキドキ感があって大好きだ。たとえうだるような暑い日が続いてもそれでも僕はやっぱり夏が好きだ。夏の思い出を後に現実に引き戻される切なさがあることを分かっているけれどそれでも夏が大好きだ。夏の終わりが近付き、少しずつ涼しい風が前髪を揺らすような季節の変化に儚さを覚えてもそれでも僕は夏が好きだ。ぎらつくような期待感と冒険心、そして祭のあとの切なさ。すべてをひっくるめて夏という季節の魅力なんだと思う。

盆の行事を終えて京都に戻った。旅の終わりはいつだって切ないけれども、田舎からの帰宅はよりいっそうだ。夏もあとわずかだけれども、その夏の名残を少しでも楽しんで傷心を癒したいものだ。そして今日は8月15日。霊山護国神社に祈りをささげに行こうと思う。