家を建てる時、誰が決めるのか、誰に頼むのか、それより前に一体何から始めるのか。
既にここで選択肢が発生しました。
ハウスメーカーに行くのか、ハウスメーカーに行けば色々親切に、営業マンが教えてくれます。
こちらに合わすようにうまく導いてくれます。
別のハウスメーカーに行けば、またそれなりに、納得できます。
混乱が始まります。
と同時に営業マンから得た知識が増えます。
気分を替えて、工務店へ行ってみる。
工務店探しはハウスメーカーほど簡単ではありません。
知人の紹介であったり、その他少し不安がありながらの訪問になります。
ただ工務店は地域に密着していますので、やたらなことはしません。
話を聞けばそれなりの安心感も出てきます。
それに一級建築士も何人かいますし、彼らの説明は経験に基づいています。
次に設計事務所はどうか。
設計事務所を探すのはなお一層難しそうです。
一般認知度が低いうえ、いざ探すとなるとどうしてよいのか?
知り合いとかがあればまだしも、なかなか設計を本業としているところに行けない。
なぜこのような社会現象が起こっているのか?
“なぜ欲している人にわかりやすくなっていないのか?”
日本はイタリアその他ヨーロッパの国のように設計し、建築する歴史が発達せず、建築を設計し、建てるということが専門業として始まったのは、明治に入ってからです。
日本における建築の設計者としては、わかりやすい代表として皆さんご存じの織田信長がいます。
安土桃山城を設計し3年の歳月をかけて自ら采配をふるって完成しています。
「いわゆる設計監理をしていました」。
しかし城郭建築は少々特殊です。
一般には大工の棟梁が板に描いた記号のような、棟梁にしかわからない図面で建築されていました。
この状況がつい最近まで続いていました。
今も続いている地域もあると思います。
そのため、建築を設計監理する意味が理解されにくくなったのではと思います。
つまり、日本において建築は木造が主でしたので、大工の技術が大変重要でした。
その後建築は時代とともに変遷し、海外からの輸入で建築様式も変わり、生活にも影響を与え、建築工法も多様化してきました。
その結果、木造だけでなく、鉄骨造(木の柱や梁の代わりに鉄を使う)RC造(鉄筋コンクリート造の略で、セメントを主材料とし鉄筋を使うことによって柔軟性を与えた構造)など木造建築以外の建築が現れ、もはや大工だけでは、対応できなくなり、ゼネコンスタイルが生まれてきました。
そして大工や各種専門業はそのゼネコンの下に組み込まれていき、そうでなければ、中間的な過渡期的な存在として工務店(ここで工務店とは大規模でなく、各種専門業から建築総合業に転化した小規模な組織を言います。)に変身していきます。
すこし話が長くなりましたので一旦筆を置きます。