建築の工法についてお話ししました。
このように工法とか、いろんな情報が多くなり、選択技がいくつもあって迷ってしまい、簡単に決められなくなった理由を探求したいと思います。
日本は他文化を輸入し吸収発展させ、時代とともにそれを独自の文化にしていく民族だったのではないでしょうか?
時間の流れがそれほど速くなく、物の価値全てに必要性を感じていた時期には、物を買うことも、捨てることも十分意味があったはずです。
今でいう、エコロジーは自然に行われていました。
物、人、自然がすべて価値あるものでした。大事にされていました。
現代のこの早い時間の流れの中で、物をじっくり考えるということは、経済の流れからいうと、罪悪かもしれません。
わからないことを、追求することも同じかもしれません。
次々と、開発され、輸入され、便利で、繰り返しの利く要素が、重宝されます。
まるで埋め立地のごみの山のように、吟味されずに繰り返し上乗せされていくだけです。
この繰り返しのような積み重なった層は、もはや日本独自の文化を深く下層へと追いやって顧みる事をしなくなっているのではないでしょうか?
本物は地中深くにあり、表層の文化に振り回されるだけです。本物が何かを論ずるより、素早く次に行くことが重要で、わざわざ、引きとめて、そのことの本来の意味を問う必要はないということでしょうか?
どの工法、どの情報を採用するにせよ、それが適切に機能する事がだいじです。
家は、そこに住む人たちの、いわば生活を演じる空間装置と考えられます。さ
すれば、繰り返し、演じられることの中にある、大事なことを、今一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか?
この点を踏まえて、次回も工法について検討を加えたいと思います。
