同じく村上春樹版「ハイブ・リット」に収められているもの。ネタばれです。


私は、村上春樹さんの短編小説「レーダーホーゼン」の英訳したもの、を、朗読したもの、を聴いた。朗読は、ちなみに、村上さんではなく、英語のネイティブの人のようだった。こちらのほうが、カーヴァーの朗読の人に比べて、作品に雰囲気が合っていて、違和感なく聴くことができた。


奥さんがまだ留守の間に、奥さんの友達が、予定より2時間も早く遊びに来てしまった。世間話をしようにも、話が尽き、手持無沙汰になっているときに、唐突に、その、奥さんの友達が「半ズボンが原因なのよ。両親が離婚したのはたかが半ズボンのせいなのよ」と言いだす。


その人の母親が、ドイツに住む妹のところに遊びに行った際、夫から頼まれていたお土産のレーダーホーゼンを買いに行く。滞在しているところから、電車に乗って、一日仕事だ。ところが、本人がいないなら、作れない、と頑固な職人さんたちに断られ、ねばった挙句、夫と似た体格の人を連れていき、その人に試着させて、なんとか買おうとする。ところが、その、似た体格の人が試着する様子を見て、これまで自分が感じていたとは知らずにいた、嫌悪感がこみ上げてきて、どうしても離婚するしかない、と決意せざるをえなかったらしい。それきり、彼女は夫のもと(=その、奥さんの友達のお父さんのこと)には帰らず、合わせて3ヶ月間くらい音沙汰がなかった挙句、電話で離婚を申し出た。


奥さんの友達は、何の理由もなく母親に捨てられて混乱した。許せなかった。その後3年して親族のお葬式の時に再会した際、理由を尋ねると、「レーダーホーゼンのせいなのよ」といういきさつをきく。そのバカバカしさ、というか、明快さ、をきいて、彼女は母親を許すのだった。許してしまうのは、「女だから」。


という、話。「私」は、読者と同じ疑問を持ちながら、話し手をときどきさえぎったり、質問を入れていく。その様子が、とても自然で、とてもタイミングが良くて、心地いい。主人公がいて、その「奥さんの友達」という設定ではなく、主人公自体の母親の話、としても小説は成り立つのだろうが、やっぱり、わかるようなわからないような、納得しきれない様子で戸惑う男性がいることで、読者も共感できるのかなあ。それが、絶妙なのかなあ。というようなことを考えながら、聞いていました。


本の方の「対訳」のところには、日本語の原文が掲載されているはずなので、そちらも読んでみよう。また、英訳されたものを、村上さんがまた日本語訳したもの、というのもあるらしい。それも機会があったら読んでみたい気がする。


村上春樹版「ハイブ・リット」は以上3作品(昨日一昨日 投稿)でした。

村上春樹版「ハイブ・リット」収録の2作品め。ネタばれです。


これは、近場の送り迎えでちょこちょこ車に乗っている間、聴いていた。だから、断片的。


最初、始まった時「これ、レイモンド・カーヴァーの声じゃない!」と思った。いや、別に、私は彼の声なんて聞いたことない。顔写真さえみたことない気がする。でも、絶対こんな声じゃない、と思った。だってナレーションの声は、とても端正で、さわやかでさえある。ごく軽くどんどん読み進めていく感じ。私はレイモンド・カーヴァーはそれほど読んだわけではないが、でも、こういう感じじゃないはず、と思った。すごく短くて的確だけど、なにか、もっと熱い感じ…人間の凄みのようなものを感じてきた。

(実際に本を見たら、ナレーションはほかの人だった。)


この物語でおきる出来事。

母親が子どもの誕生日用にケーキを注文する。子どもが誕生日当日車にはねられる。病院に入ってこん睡状態に陥る。父母は死ぬほど心配する。着替えに家に戻ると嫌がらせ電話がある。子どもは死ぬ。家に帰るとまた嫌がらせ電話がある。ケーキ屋だ。ケーキ屋に八つ当たりに行く。みんなでシナモンロールなどを食べる。


短編小説であり、こと簡潔な文章を書くとされるカーヴァー作品ではあるが、文は、もしかしたら、簡潔なのかもしれない。しかし、書かれている事象がとてもリアルで、細かくて、本当に心配で気が遠くなりそうになりながら必死で耐えている両親の気持ちになってしまう。病院の看護師の様子。ベッドの形。病室が病院の正面玄関の上方にあるであろうこと。ケーキ屋の作業台の様子。自宅のソファの形(イメージだが)。


題名が「A Small、 Good Thing」なので、子どもは助かるんだとばかり思っていた。こういう、ぐるぐるとした心配をさんざんして、でも、子どもは起きるのだと信じていた。途中、心配になって、タイトルを確認してしまった。


でも、状況がじりじりと悪化していく。「大丈夫、何も異常はありません。ショック状態で寝てしまっているだけです」が、「今は、こん睡状態、としておきましょうか」という。X線検査で問題がない、と言っていたのに、もっと検査が必要だという。「何のために?」「でも異常はないんです。起きてくれさえすれば、もう、安心なんですが」「でも、やっぱり、なにか重大なことが起きているんでしょう?」「いえ、安定しています」悪いことを決して言わない医者に苛立つ両親。でも、事態が悪化しているという直感がある。そして、いったん、目を覚ましたかに見えたこどもは最期の声を吐き出してあっさりと息を引き取る。


こういう、別に、事態が目に見えて悪化したりしなくても、なんとなくいつの間にかどんどん悪くなっていっていて、無理やりそれに慣らされる、という状況は、想像がつく。卑近な例だが、わが娘の状態も、別に聴力が非常に悪い、という以外、MRIでみても、異常はないと言われていた。でも、あきらかに、普通じゃないんじゃないか?と思っていたら、最初は、「基底核にちょっと不具合がある」(何それ?)「不随意運動ですね」(いや、それはそのようだが、それってなぜ?どうすればいいの?)「脳性まひだと思います」(え?そ、そうなの…?)というように、9か月くらいかけて、なし崩し的に悪いことが知らされた、というように感じている。(おそらく、状況は最初から同じで、まあ、本当に最初はテストで異常が見られない以上、あえて悪いことを言わない、ということなのかもしれないのだが。)この作品のお医者は、心から大したことないと思っていたようだが。


息を引き取るシーンでは、何がおきたかわからなくて、巻き戻して聞いてしまった。長男のピアノのレッスンの帰りで、彼はいろいろ話しかけたそうだったが「ごめん!ちょっと黙ってて!」といって聞きなおす。ウソでしょ!ウソでしょ!茫然としてしまった。


それから、両親が家に帰らされて、親類に連絡等した後、二人で悲しみに暮れている間に、かかってくる嫌がらせ電話。電話の主は、ケーキの注文を受けてケーキを作った職人。労力をかけて作ったケーキがピックアップされないので、怒っているのだ。


でも、両親は逆切れする。夜中に働くケーキ屋におしかけ、自分たちがケーキを取りに行くのを忘れたことは棚に上げて(一切謝らず)、「なんてひどい人なんだ!恥を知れ」と責める。(この個所は、この人たちもちょっとどうなのだろう?と思ってしまったが。)それは、もちろん、そんな状況で嫌がらせ電話を受けたことに対する怒りもあるが、大きいのは、何の前触れもなく子どもを奪われた、不条理に対する怒り。やり場のない怒り、悔しさをぶつけた、という感じ。ケーキ屋は、二人をなぐさめ、謝り、「ずっと食べてないんでしょう(とは言ってなかったけど)。こういうときは何か食べたほうがいい。食べるというのは、a small, good thing(ささやかだけど、善いこと)だから」と、シナモンロールを出す。3人で食べながら、ケーキ屋は、自分が孤独な人生を歩んできたことなどをぽつぽつと話す。それで、両親が感じている激しく渦巻く怒りや悲しみは、静かなそれになっていく。


というこの様子も、とても、いい。両親の悲しみが減ることはなくても、でも、救われる、というのはあるだろう。


2回目を聴いたときは、状況がもっとよく理解できて、涙がぽろぽろこぼれた。子どもが死ぬところ、両親が悲しむところ、ケーキ屋がなぐさめるところ…。


短編小説だし、状況を淡々と描くところはカーヴァーなのだろうけれど、ちょっと私の印象としては、今まで私が読んだもの(Will You Please Be Quiet, Pleaseなどに入っているものなど)と、だいぶ違う。悲惨なストーリーには違いないが、なにか、しみじみとした温かみを感じる作品だった。朗読で聴いた、というのも、ドラマチックで良かったかも。(でもナレーションの声は、ちょっとイマイチ。もう少し、年を重ねた声の方がよかったなあ。)

これは、村上春樹さんのほうの「ハイブ・リット」に収められている作品。

柴田元幸さんのものを気に入って、村上さんのものも試そう試そう…と思ううちに時間が過ぎてしまい、その間、柴田さんのを聴き直そうとする気配のない自分を実感し、「買わずに、図書館で借りよう」と思ったのだった。意外と人気で、なかなか順番が回ってこない。まわってきても、期日までにPick-upに行かれず、借り損ねる…が続き、ようやく借りてこられたのだった。


(ネタばれです。)


このシリーズ(といっても2集しかないようだが)のコンセプト等は、「柴田元幸『ハイブ・リット』」 に書いたとおり。村上春樹さんの本は、この作品のほか、レイモンド・カーヴァー「A Small, Good Thing」と村上春樹「レーダーホーゼン」の英訳が入っている。それらについてはまた後日。

たまたま東京縦断する機会があり、一枚目のCDをいきなり、聴いてみた。平日真昼の首都高に乗り、車間をあけすぎず、看板が見えないほどには近づきすぎず、車線をスマートに選び、迫りくる分岐点を正しく進み…しながらのヒヤリングというのは、ちょっときつい。


うん。どうも、1968年に徴兵されることになった。ベトナム戦争は反対だから、行きたくない。ん?バイト先が、豚の屠殺場??なんで???ハーバード行くような人が…???で、逃げることを考え始める?

最後まで行かないうちに、目的地に到着してしまう(首都高が空いていた)。着いたところで、ちょっとズルしてテキストの字面を確認する。(LBJとかWestmorlandとかいう固有名詞が列挙されたあたりが全然把握できていなかったので。)

帰り道、また続きを聴く。結局、カナダへ自由を求めて逃亡することと、人々から後ろ指を指されないためにだけ、戦争に行く、という選択肢に悩んだ挙句、戦争を選ぶ。生き延びる。「でもハッピーエンドじゃない。だって僕は臆病者だから。戦争に行ったんだもの」と終わる。


帰途は夕方にさしかかっていたので、首都高も混んでおり、一般道に降りてからも交通量が多く、時間がかかる。それで、もう一度聴けた。


全体に心情や環境の具体的な描写が細かいながら、躊躇せずどんどん書き進めていくような書き方をしているが、本人はとても苦悩している。ちょっと悲劇のヒーローっぽく陶酔しているあたりが、むしろリアルだ。主人公の名は、著者と同じTim O'Brien。ということは、これは、彼の自伝なのだろうか(必ずしもそうではないらしいとうことが、柴田元幸さんの作品紹介にあるが)?これは恥ずかしい話だから、話したことがない、と書き出しているが、本当にそんなに恥ずかしいのだろうか。こういう葛藤は、ごく自然で、大多数の若者が経験したのではないのか…。とはいえ、そういうことも、今の、徴兵制のない時代で、ベトナム戦争が過った戦争だった、という評価がなされた現在だからこそ、思えることなのか。


著者本人の朗読は、説得力がある。書いてあることと、声のイメージが同じで、とても自然に入ってきた。そして、その、苦悩の、気分、というのが、今では一般的な解釈だから、自然に入ってきた、というのもあるのかも…。これが書かれたのも1990のようなので、その時には、すでに理解されるものだったろうと思う。今の時代、そういう苦しい選択を迫られない幸せをかみしめなくては。


村上春樹「ハイブ・リット」アルク 2,381円