ある友人とのやりとりで「最近文庫にもなった川上弘美氏の『此処彼処』に、

どうして社会生活においては、どう考えても気が合うはずのない人間同士が、

何かしらの必要により、合い寄って共に過ごさなければならない羽目に陥ってし

まうんだろう。

という一節があって、その辺りをしみじみ読んで、

ああいうときの嫌な気持ちは乗り切るようにしています。」と言っていたので、すぐ求めて、読んだ。


「ああいうとき」というのは、気の合うはずのない人間同士が共に過ごす羽目になって、その時の不用意な発言がもとで何かしら、うまくいかないことがあったり…というような場面のことだと思う。


誰にでも、訪れる、そういう、時。わからないけど、たとえばPTAの係での仕事中、とか、幼稚園の送迎バスを待つ時間帯とか、そういう、時、かな。


誰にでも訪れるのだが、でも、わりとうまく乗ったり、かわしたりするスキルに長けている人と、そうでない人がいる。私は、どちらだろう。

基本的には、人づきあいは、苦手で、気に入った数少ない友人とずっと長く付き合うことが好き。だから、公園で、とか、子ども関係で会う、大人との関係なんて面倒くさい、と思っていた。

でも、自分で苦手と思っているよりも、意外と平気な方なのかもしれない、と、この本を読んでいて、思う。そつなく人間関係を築いたりすることはできないが、この人(や、前述の私の友人)が感じるほど、息苦しさを感じていないと思われる。おそらく、人よりも、ものすごく鈍感なので、あまりまわりが気にならないという、恵まれた性質なのだろうな、と思う。(最近目にする「鈍感力」って私のことかな?と思うのだけど…定義を知らないからなんとも言えん。)


この本は、別に、そういうネガティブな空気でできているわけでは、決して、ない。

日経新聞に一年間連載されたそうなのだが、毎週毎週、どこかの地名がタイトルとなり、そこにまつわるエピソードを語る、というエッセー集だ。最初に「自分の場所」と感じるところ、と断っている。といっても、その地名というか、その場所が主役なのではない。その場所について語り始めるものもあるが、エピソードがあったなかに、さらりと、その地名が語られる、というものも多い。主役は、その場にいた時。その時間、という感じがする。自分の、その時のこと。


そのとつとつとした語り口、考えの展開のさま、が、私の、その友人にとても似ていて、ちょっと驚いた。私は、友人の文章も大好きなので、この著者の本をまた読んでみたいと思っている。

川上弘美「此処彼処」新潮文庫 460円

週末、キッザニアに行ってきた。


すごく混むらしいので、小一の長男の学芸会の代休の日なら、平日だから空いているかな、と思って学校のお友達を誘おうと思っていた。しかし、その日は平日というのに、もう予約がいっぱい。焦って、「では、行ける日は」と探すと、案外近い日程の方がキャンセルが出るのか、空きがあったので、ろくに調べずに、あわてて家族5人で予約した。


午前9時から3時の会。


キッザニアのホームページやいくつかのサイトをざっと見ると、「たった6時間しかないから、よほど効率よく回らないとたくさん経験できない」という。また、「パビリオンには大人は入れない」とあって「えー!!じゃ、ママにべったりの長女は何もできないじゃん!」と今さらながらショックを受けつつ、長男以外の分(超恥ずかしがり屋の長女、重い障害の次女)の入場料はどぶに捨てたと覚悟して、出かけたのであった。


「時間に制限があるので…」とあるのに、家を出るのが10時になってしまい、到着したのは10時45分。どんな仕事があるか、どんな仕組みになっているのか、一通りの施設を見て回る。人気の消防署員とかは、その時点で、すでに2時くらいまで待たねばならないような状況。とりあえず、そこそこ空いていてやってみたいもの、というところで、長男はJリーガーに挑戦。長女に、そばのタカラトミーのおもちゃ屋さんのディスプレイのお仕事を勧めてみると、意外や意外、「やってみる」というので、もうちょっと大きいお兄さんたちと一緒に(リカちゃんのディスプレイはちょうど終わって、プラレールのお仕事になったのだった)、しょっちゅうこちらの顔を確認しながら、レールをつないで行っていた。


「これって、レールで遊んでるだけに見える」と思ったけど、好きなようにつなげないあたりが「お仕事」か。決まった通りにつなげて、見栄えを良くするのが仕事だもんな。でも、本人たちはそういう意識が果たしてあるのか。


もともと、キッザニアがメディアに出るたびに「楽しそう!」と思う反面、「ちょこっと体験したくらいで、お仕事をわかった気にならないでほしい。そんなんで本当にキャリア教育になるのか~」なんていう懐疑心が強く、まったくコンセプトに賛同するわけではなく、ただ、「一度行ってみないとわかんない」くらいの気持ちで行ったクチである。


その後、子どもたちはオートバックスの車の修理屋さんになる。つなぎを着て、カッコイイ。修理工場の周りを走る道路では、電気自動車を運転する人、ガソリンスタンドでガソリン入れてるひと(あれ?電気自動車だったら、ガソリンいらないよなあ?)がいる。運転するには、免許を取って、レンタカーを借りる。そういう楽しいこと、学ぶことにはお金を払わなければならない。車の修理より、ガソリンスタンドの方が人気のようだ。


「ガソリンスタンドなんて、今じゃ、セルフのスタンドがあるから、別に本物を体験できるじゃんね。A(長男)なんて最近ほぼ毎回やってくれてるよ」と夫に言うと「こうやってユニフォームを着てやることが大事なんだよ、きっと」という。ふむ。「でもユニフォームを着るから楽しい、というのだったら、やっぱりキャリアの勉強というよりも、やっぱり、お遊びの延長だよね、ただの。どうせだったら、仕事によって、時給もっと変えたら、世の中のシビアさがわかるかも」「でも、時給が違うのって、仕事そのものというだけでなく、スタンドの店長か、アルバイトの店員かでも違うわけだから、そう簡単にはいかないんじゃない?大体、スポンサーが会社や業界のイメージのために、反対するかも…」懐疑的な私だが、楽しいこと、何かを学んだり、免許を取ることにはお金を使わなければならない、というあたりは、いい勉強になると思う。


親はひたすら待つ(かじる程度の体験ではあるのだが、結構一つ一つにしっかり時間をかける。大体35分とかかかるようだ)ので、こういう他愛のない会話を死ぬほどたくさんできて、まあ、楽しかったのではあるが、根気も必要だ。もう少し大きい子たちだったら、放っておいて、親専用のサロンに行ってのんびり本を読んだりネットサーフィンでもするのだろうが、小さい子たちの親はそばで待つ人がほとんどだ。


待っている方もしびれを切らすのに、パビリオンで子どもたちを指導する人たちはどういう人たちなのだろう?出展企業からの派遣?アルバイト?キッザニアの職員?それなりの知識も必要なうえ、小さい子どもたち相手に、半日に同じことを8回とか教えるのだから、ものすごい根気と忍耐強さである。本当に尊敬してしまう。


結局、お腹がすいたのに耐えきれず(親が)、お昼をのんびり食べていたら、時間切れになってしまい、子どもの職業体験は2種類程度に終わってしまった。次回は、要領よくできると思う。子どもたちは楽しんだし、もっといろいろやりたい、ということなので、また行くことになると思う(そう丸め込んで、つまらないおもちゃを買わせず、お金を銀行に預けさせた)。子どもが楽しそうなのが、一番だから。(ディズニーランドで泣きわめかれるよりずっと良い。)






生まれて初めてゴキブリの死に涙した。


ゴキブリは、私は、家で見たら、絶対逃がさない。絶対退治する。一匹見たら実際にいるのは10匹とも100匹とも言われているから。0匹なら、理屈では0のハズ!(どういう理屈だ?)幼いころから我が家でそうしてきたから、ゴキブリを見れば反射的に行動に出る。


先日、末っ子が体調を崩し、普段行く療育センターをお休みすることになり、珍しく午前中のんびりしていたときのこと。朝つけていた教育テレビがそのまま午前中延々ついていたのだが、その中で、小学生向けの道徳かなんかの授業用?の番組が、ちょっと面白かったのだ。


北海道出身の小学生が、千葉の学校での生活について、北海道のおばあちゃんに手紙で報告するのだが、報告内容がドラマ仕立てになっている。いわく学校でお墓があって、そのお墓は誰のものかというと…、と自分が転校してくる前のエピソードが始まる。


おじに獣医を持つ男子がウサギをかわいがる女子に「ウサギって自分のウンチ食べるのによくかわいがれるな」という。ミミズを「気持ち悪い!」と言われた仕返し的に言う。「なんでウサギはかわいくてミミズは気持ち悪い、になっちゃうんだろう?」という素朴な疑問をその男子はもつ。そして獣医に話す。「人間はよくわからないものを怖がるものなんだよ」獣医は言う。「おじさんにとって一番謎の生き物といったら、人間よりもはるか昔からずっと同じような生態で暮らしてきた、あの、黒くてテカテカしたやつ」という。ゴキブリだ。それを男子は捕まえて観察しようとクラスに提案する。


担任の若い男性の先生は、ゴキブリが大の苦手にもかかわらず、「なぜゴキブリは、ダメなのか?」を斬り捨てられず、結局、クラスで話し合いをもって、飼って観察してみることにする。かくして、コロとかいう名前をつけて、何を食べるか、食べなくても本当に何日も生きられるのか…観察が始まる。ちなみに映像には姿は一切出てこない。かさかさした音だけだ。何日かして、コロが脱皮をする。飼うことに反対していた子どもも思わず「白くて透き通っていて、きれい」と言ってしまう。「こんなに強いんじゃ、人間が勝てるわけないよな」と先生も脱帽する。そしてさらに何日か経って、コロが元気をなくす。獣医に持ち込んでもできることは何もないという。そしてとうとう死んでしまう。


子どもたちががっかりするからだったのか、よくわからないが、「コロが動かない」と日記に書くところ(ナレーションがそれを読み上げる)で、はらりと涙がこぼれた。コロも頑張って暮らしていたのに。別に誰かに迷惑かけようとおもって生きているのではないのに、こんなに人間から嫌われているなんて…とコロからゴキブリ全体への同情が広がる。そして、コロはお墓に埋められたのだ。


子どもたちも、素朴な、そしてフェアな感覚で接する姿や、ゴキブリ嫌いの先生も、子どもたちに誠実に接している姿も、全部あいまっての感情だったのかもしれないが、ゴキブリの死に涙したことは、記録に値することだと思ってしまった。


ちなみに、いま調べてみたら、番組は「時々迷々」という小学校中学年向けの道徳番組でした。ちゃんちゃん。