後醍醐天皇皇子「宗良親王上陸地」。

(むねよししんのう上陸地)

 

現在の馬込川沿い「中田島排水機場」そばに碑があります。

(目標住所:静岡県浜松市中央区(旧南区)白羽町981

駐車場・トイレ・自販機なし。

 

南北朝騒乱の時代(1337年)

南朝方・宗良親王は征東将軍として三岳城を拠点とし

土豪・井伊家を従え

南朝を中心とする国家づくりを進め始めていました。

 

1338年、同士・奥州勢北畠顕家の軍と合流し上京。

その後、東へ向かう事となり海路を選びます。

そして宗良親王を乗せた船は

伊勢から陸奥方面に向かう途中

嵐に遭い、濱津海の白羽に漂着します。

 

当時の海岸線は

ちょうど今の「静岡県道316号線/掛塚舞阪線」付近であったと考えられています。

 

またたびたび起こる天竜川の氾濫で

地形も安定していなかった頃の話です。

 

 

南朝側の宗良親王は

南朝側に付く井伊家(井伊道政)に身を寄せることにします。

井伊家居館跡 の北側に御所があったと言われています。

 

しかし宗良親王は2~3年しかとどまることはできませんでした。

北朝側の軍により鴨江城千頭峯城

そして三岳城(三嶽城)・大平城

次々南朝側の城は陥落していきます。

 

その後宗良親王は越後・越中・信濃へ移ることになります。

 

宗良親王は最期を井伊谷で迎えたとも言われています。

 

 

ここにある石碑は

松の木の下にありますが

これには理由があります。

 

宗良親王が浜津の海で嵐にあったのは夜で

浜にたどり着いたものの

辺りに見える雨を凌げるものは

松の大木だけ。

 

一晩そこで過ごした…という伝承があるからです。

 

 

その松は戦前まであったそうですが

戦火で焼けてしまったのだそうです。

 

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2011年11月

シンボルの松の木が枯れそうになっています。

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2022年4月

松の木は切り倒されました。

 

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