この人がいなければ井伊家は終わっていたかもしれません。
「伝・新野左馬助公屋敷跡」。
引佐町「神宮寺信号機交差点」の南東ブロック内です。
(目標住所:静岡県浜松市浜名区(旧北区)引佐町井伊谷704-4)
駐車場・トイレ・自販機なし。
まず、ここで登場する井伊家の簡単な相関図を。
【井伊直平-井伊直満-井伊直親(亀之丞)-井伊直政(虎松)】
【井伊直平-井伊直義】
【井伊直平-井伊直宗-井伊直盛-井伊直虎】
井伊直満と井伊直義の兄弟は
“今川嫌い”を井伊家の家老「小野政直」により報告され
クーデターとして処刑されてしまいます。
こういう場合は通常親族も処刑されてしまいますが
この時 直平や直盛は処刑を免れています。
(亀之丞“直親”には処刑命令がでています。病死と偽りながら逃走していました。)
今川氏に報告した小野政直は
“井伊直満・直義の2人だけの責任で、他は無関係”
と訴えていたからです。
そこで目付役家老として「新野左馬助親矩」が送り込まれたのでした。
ここの屋敷跡の主です。
処刑命令から免れ帰国を果たした亀之丞は
直親と名乗り井伊家宗主となりますが
彼もまた父と同様「反今川派」として徳川家康と連絡を取り合っていました。
それをまた今川氏側へ連絡したのが
小野政直の長男「小野政次」でした。
結果、井伊直親も今川側の家臣により殺されてしまいます。
ここで「直親の子(直政/虎松)だけは助けなければ」と動いたのが
「新野左馬助親矩」です。
できるだけ短く説明しました。頑張った。
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