★THE ROOTS OF SOUL DJ IN NAGOYA!! | ●club buddha/shiva 

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名古屋の老舗クラブ「club buddha」&クラブ系モダンバー「SHIVA」のプログ。 

※( 画像 : 全て70年代の希少画像です。上 : EVA黒川さんと葛城社長 製氷機の氷メガネですかね? 笑 )

 

Q : まずブラック・ミュージックの虜になったきっかけと

DJを始めたきっかけを教えて下さい?

 

●EVA : 15~16歳の時、近所の銭湯でいつも会う一人のアフロマンがいて、勿論年上なんだけど~その人が強烈な黒人かぶれで。「おい、坊主これからはブラックファンクの時代だ!!」と言われたわけ。で、その人の部屋に行くと、サイケな黒人アートのなかでマンドリルとかオハイオプレイヤーズなんかを大音響でかけて踊るわけですよ~。これでやられたね(笑)。トラック運転手だったかなあ?何を言おうが謎の師匠デス。で、DJの方は当時は色んなソウル系のDiscoに行くと、メインは黒人DJだから~憧れたね。俺、英語しゃべれないから無理かって感じ…。みんな当時はマイクですよ~。中にはダサいブラザーもいたけどね。

 

※(画像 : 右はイカれたドイツ人、黒川さんのロス時代の友達らしいです笑。)

 

Q : その後ロスに在住してたとお聞きしましたが、ロスではどんな生活をしていたのですか?

 

●EVA : サタデーナイトフィーバー前くらいから音が変わってカッコ悪い流れになったし、店員もしてたから合わせるの嫌で、カリフォルニアでサーフィンして。まあ、そっちのFMの選曲にどっぷりつかりましたわ。特にKJLH102。オリバーってオジさんDJなんだけど~スタジオ呼んでくれてね。レコード選ばせてくれたり、ブルブルですわ。あっ、金はありませんから居候の生活ね(笑)。

 

(画像 : カリフォルニアのサーファのメッカ ハンティントンビーチ!!)

 

Q : 帰国後、名古屋でブラック・ミュージックがかかる店はどんなお店があったのでしょうか?

 

●EVA : DISCOはどこでも同じようなもので、僕はすぐに21に入ったんだけど初めは新宿系だったんですね。でもこれじゃ~ダメってことで、赤坂のビブロスや六本木のメビウス的を目指し、音もSoulfullを中心にDancerockやReggaeもかけたんですよ、でも名古屋の人は一般的にピンとこないようでしたね…。当時、サーファーって本物は汚いのが多くて嫌われてたの。そしたらウエストコースト物のお店が増えて、女性のお客様がどっと来だしたわけ。男もきれいな恰好になって、イケメンのスタッフ集めたらガンガンお客さん入った!! 僕はFunk~Soul~ 誰それはミーハーなんて分業にしたんです。あとRockを導入したのは商売繁盛につながりましたね(笑)。

 

(画像 : アフロ時代の黒川さん 左 : @ビックベン〜後ろの女性もアフロですね!! 右 : @BP )

 

Q : 当時のお客さんはどんなファッションをしていましたか?

 

●EVA : 女性客はブランド系とサーファーのミックス、男性はロコパンツ、646、クレイジーシャツ、アロハ、オーデコロンはムスク、アラミス、Dior。服装チェックは、アイビー,コンポラ、ビーサン、リーゼントは出入り禁止。どこでも共通事項でしたから~笑えますね。

 

(画像 : 左70年代ご機嫌なバーテンダーのジョーンズ。本当はDJなんだけど酒ばっか飲んでたね(笑)...その後消息不明 by EVA氏。@BP / 右 : 元気いっぱいなEVA氏とケンイチ君 @21)

 

Q : 黒川さんよりさらに先輩DJとかは存在していたのですか?やはり体育会系でしたか?

 

●EVA : いらっしゃいましたよ。有名どころではFM東京やムゲンのマイク鈴木さん、奥田ヒロシさん(笑) 死んじゃったけどルイス石原、ファンキーさん、体育会系というよりも煙系でした~(爆笑)。

 

Q : 当時のお店の機材はどんなモノを使っていたのでしょうか?

ターンテーブルにピッチがギリギリ付き始めた頃ですか?

 

●EVA : タンテはビクターやDENON。79年くらいからテクニクスの1200-mk1~mk2spへ変わっていった。アンプは圧倒的にヤマハ、山水、パワーアンプでアムクロン,SEA、LUXMANも。スピーカーはBPがJBLの38フルと、アルテックA7。21はガウスとJBLのコンクリートホーン作ってやってました。いい時代ですよねぇ~。ああ、ピッチはダイヤルからレバーハンドルへ変わるころですわ。

 

 

※​(画像右 : EVA黒川、freddie勝亦、青木恵美、葛城社長、カルロス / DISCO BP 関係者 76年 *これは凄いメンツです!! 特にアキラさんこと葛城社長!! メチクチャ恐い人〜大阪ではスーパースター!!)

 

Q : その頃、手羽先の山ちゃん1号店ができた頃じゃないですか?

山ちゃんはどんなお店でしたか?

 

●EVA : 山ちゃんですか?あそこは新栄の路地裏にありまして、一人でやってた。大体、深夜店でしてDisco帰りや飲み屋帰りの客で賑わってましたがぁ~。まさかあそこまでいくとはね(笑)!! 手羽は基本風来のパクリですよ。 

 

Q : 黒川さんは沢山のお店をプロデュースしたり経営に携わったりしていましたが、特に印象に残っているお店はどこですか? またどんなお店でしたか?

 

●EVA : 面白かった店ばっかりだったよね。なかでも、Indicaこれ名前からしてすごい!ゴアの雰囲気でいったつもりですが、ピンボールマシン2台、DJブース、MKのサテライトとサブウーファーシステム。料理は味仙風、酒はメインにピンガとバカルデイでした~毎日が楽しかったね。81年でしたか?あと今のアジアさんとこ、サナバ・ビーチも面白すぎて、覚えてないくらい(笑)。全てしっかり商売しましたよ(笑)

 

Q : 長年選曲していて特に心掛けていることを教えて下さい?

 

●EVA : 周りを気にせず,自分のやりたいことをやればみんな楽しいかなあと、

勝手に思います。

 

 

Q : 姉妹店SHIVA改装します。全てにバージョンアップします。

今後BARでの選曲も重要視されていくと思うのですが、

BARとclubとの選曲の違いはどうお考えでしょうか?

 

●EVA : SHIVAいい店だなと、いつも思うよ~サウンドチェックして、一人でずっと流していたい空間ではないですか?音楽以外の話からまた音楽にもどり、時間が過ぎていく。barの理想ですね。いろんな人に知ってもらいたい場所のひとつ。clubは一体感も大事だから、こっちが先に乗ってしまうことですね。だからブースで踊ります(笑)これが肝。ネタの事はしゃべれませんのでね。

 

Q : 相方のDADDYについてご説明を?

 

●EVA : 吉田忠能daddy~パパと娘で、daddy and evaになりました。90年代の話です。当時はダウンステアの店長さん、もっと昔はshelterとかÅ-clubでやってました。今は、vapors record経営と吉田塾。みんな知ってますよ、飲み友達だし。モルトスコッチ飲みだすとちょいとまずいけどね…ハハ。

 

Q : 最後に11/4 DADDY&EVAのPRをお願いします。

 

●EVA : 今年(祝)ブッダは30周年∼思えば20代からお世話になっております。長いけど、あっという間。日本で一番の老舗クラブ。11月4日の金曜日、9時からですから夕飯食べて、下のSHIVAで一杯ひっかけて~ゆっくりどうぞ。炸裂のJBLサウンドをお楽しみに!!

 

 

最後になりましたが、源泉館は次回年末で調整中でございます。太田氏の後輩でもある、カーネルズBARにて恒例の開催∼決まりましたらお知らせいたします。ありがとうございました。

 

 

〜秋の気持ち良いメロウなサウンド BEST 5 / DJ EVA 黒川〜

● way back home(vocal) / junior walker and the allstars 

● so,so,happy / varelie carter 

● goin places / michael henderson

● peace of mind / white elephant

● 冷たい別れ / 中島みゆきand stevie wonder 12version

 

https://www.youtube.com/watch?v=7ZpB7l1pz5A