BUDDHAの歴史 86'~vol.1 | ●club buddha/shiva 

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名古屋の老舗クラブ「club buddha」&クラブ系モダンバー「SHIVA」のプログ。 

 

 

●1986年、名古屋に「DJをフューチャーする店を!」というスローガンで、東京と名古屋のスタッフによってクラブ第1号としてオープン!!

●口コミだけで、斬新で奇抜で怪しげな空間は、あっという間に話題になりました。

●1986年ブッダの壁。当初は個人的にバングラビートが好きだったのでシーラチャンドラのジャケをヒントに友人に描いてもらいました。確かフロアーはゴールドに塗った記憶があります。(笑)

 

 



 

●ブッダ公認第1号DJ近藤君です。彼は東京の六本木「ジルズ」「ナバーナ」そしてDISCOの聖地「キサナドゥ」等の有名店で当時から親交のあった中村ナオ氏らと共にプレイし、その後クラブブッダのオープンに合わせて名古屋に移住。

 

近藤氏は当時、名古屋のデカ箱からブッダの倍以上報酬で引き抜きがかかってましたが、その話を蹴ってブッダに来てくれたから本当に感謝してます。ただ近藤氏との交渉の場がノーパン喫茶だったのはびっくりしました!! 場を凄く楽しんでて、自分の話を全く聞いてないのも近藤氏らしかったですね(笑)

 

 

 

●当初、彼の選曲はロービートではまだ楽しむことがなかったここ名古屋にアニタベーカーやマットビアンコ等フレンチポップなどを含んだ大人のDISCO、大人が楽しむ選曲を披露しそれを浸透させあっと言う間にクラブブッダは"選曲の良い店"として話題になりました。

 

画像では最終的にはヒップホップをかけていたのか??.....Tシャツがデフジャムですね! <86-87年迄プレイ>
 

●その後、street beat recordの「ULTIMATE BREAKS & BEAT」が発売され話題になりました。このレコードは確かレコ屋にはまだなくて、最初に入荷したのはデプトストアー。このコンピに入っている原盤が今では数万円の価値になろうとは...。全部で25シリーズでてます。Track制作などの必須アイテムでここからのネタが数多く世の中に出ています。

    

●1987年東京からMKフレッシュを迎えて周年PARTY!! 見せ場は"シェリルリンのガッツビーリアル"の2枚使いのスクラッチで盛り上がりましたが、まだヒップホップカルチャーが浸透してなく「何だコレ!? なんでアディダスを着てるんだ?」とか散々クレームを言われて本当に辛かったです😂  RUN DMC、ビースティーボーイズがデビューした頃です。

 

左端マネージャーのジャクソン井口氏は後にイカ天の名プロデューサー!!!

    

<後のイカ天プロデューサージャクソン井口氏とスタッフの由美ちゃん>

 

●1987年夏

ランキンタクシー名古屋初登場! 

 

喋ってレコードかけるレゲエのスタイル"ラバダブスタイル"の一発目。以後ランキンさんは、定期的によく来てくれました。ダンスホールレゲエが出始めた頃です。ビックベリーマンや早口パパサンとか全盛期の頃です。

    

●同年の年末に、当時東京の話題のクラブ「ピカソ」からロンドンナイトの稲葉達也氏、独自のレゲエスタイルと言われた藤井悟氏(Caribbean Dandy) 、ソウルとかラテンをかけてた長田定男氏らが登場!!

彼らの選曲は選曲別に役割分担され全てのジャンルで爆発的に盛り上がりを魅せ強烈なインパクトを残しました!!

 

「DJをフューチャーする店を!」というスローガンで幕開けし2年!!この頃から徐々にスケジュールを組み本格的にDJ スタイルがスタートしました。



●仰天フライヤーが出てきました! 

 

木村コウとクラークケントが、ブッダでプレイした時のフライヤーですが、タイトルが「FUNK」になってます(笑) 確か二人ともハウスだった記憶がありますが、多分、木村コウ氏がファンクマスターゴーゴーというチームにいたので、そのマークかな???(笑)とにかく超アバウトなチラシですが凄い盛り上がりました!!! 


以後木村コウ君は何回かプレイしてくれました。ちなみに彼はロン毛で美少年でしたね😄

    

 

●1988年クラブブッダ全面改装!! 

 

手掛けたのはロンドンのストリートアートのパイオニア、マークウィーガン!! 

 

2週間滞在して全面ウォールペイントは途中で初のライブペイントも組み込み素晴らしかったですね!!! 途中プロモーターと揉めて色々ありましたが、彼はとても紳士的でしたね。因みに彼は焼き鳥とうなぎが大好物でした😄

<可愛らしいお客さんとマークウィガン>

 

         < 誰でしょう? 若き頃のDJ 刃頭かよ>

 

 

●この年はジャンル問わず様々なDJがクラブブッダに集結! 写真はUF0のラファエルと大先輩ソウルDJのエバ黒川さん。

 

その後、続々と国内外問わず、多数のDJがやってきましたが...残念ながら写真がないです。



    


●この時代はDJブースジャックが多発!!! クラブクアトロのオープン打ち上げだったかな?「タイガー、ジヨニーP、シュガーマィノット...」とかがブッダにやって来て歌ったりしてましたね!! 

 

主催者には絶対歌わせないで!と言われてたので阻止しましたが静止できず...(笑) 

 

まぁぶっちゃけ、こっちも¥6〜7000のチケット60枚も売って貢献したわけだしこれぐらいいいでしょ(笑)

 

この日来てたお客さんは「えーもん見た!!!」って大喜びしてました!!!!!

     
    < ジョニーPとタフェスト当然だが上手すぎ!! @club buddha >
 

●オマケ画像 - キノHIFI

 

中央のデカイスピーカーはオープン当初のブッダのスピーカー。お釈迦になったんで、木下氏(現ブッダ店長)にあげました。こんなの部屋にあったら、さぞ近所迷惑だとお思いでしょうが、キノHIFIはラジカセ以下の音量しかてませんでした(笑) 当時、押し入れDJブースが流行ってましたね!!!

    

 

 

オマケ画像2

 

イケメンスタッフ喰われてもうたかも...(笑)
 


 

●86-89年の3年間は新たなダンスミュージック(ヒップホップ、ダンスホールレゲエ、クラブジャズ、ハウス)が生まれた激動の3年間でした。1年がとてつもなく長かったですね。

 

 

 

続く