オフトジャパンがワールドカップに出場できなかったのは

ある意味「必然」だったと妙に納得している。

 

最終戦のイラク戦。

ラモスからのオフサイドのパスを

中山雅史がゴールを決めた以降、

これで(オフサイドのゴールで)

日本代表の悲願だったワールドカップ出場が叶っちゃうんだぁ

これで(偽りのゴールで)

ワールドカップへ行けちゃんだぁ

と妙に冷めた感覚になったのを憶えている。

ゴールを決めた後の中山雅史の喜び方も

本人がオフサイドであることを分かっているから

何か嘘くさかったしね。

 

足首を骨折した「狂気の左サイドバック」

都並敏史の代役を探す際も

正解(*1)は直ぐ近くに存在していたのに

新たに江尻篤彦や三浦泰年を試してみたり。

長年一緒に戦ってきたの勝矢寿延でしょ?

 

(*1)攻撃には目をつぶり、右SB、右CBの控えだった

勝矢寿延を守備専従の左SBとして使う。

もしくは堀池巧を左SBに廻し、勝矢寿延を右SBで使う。

 

武田信宏が戦犯として叩かれたりしたけど

戦犯は明らかにこの二人

監督であるオフトとチームの中心選手であるラモスですよ。


 

韓国戦で持ち前の運動量を活かして

獅子奮迅の活躍をした北澤豪を

最後の最後まで信じることが出来ずに

サッカーの神様がくれた運を自らの意思で廃棄した

マリウス・ヨハン・オフトと

 

ボールをキープする気なんてまるでなくて

武田信宏に攻めを急がせるパスを

ダイレクトでリターンしてみたり、

折角、森保一が取り返してくれたボールを

必要ないのにカズにわざわざ浮き球で

相手にミスパスして

反撃の機会をプレゼントした

ラモス瑠偉ですよ。

 

泣き言や言い訳を一切せずに

オフト監督の信頼を最後の最後まで獲得できなかった

自分を責めたキーちゃんは男らしいよね。

 

結論

オフトジャパンがワールドカップに出場できなかった理由は、

サッカーの神様が

仲間を信じあえないようなチームは

ワールドカップと言う舞台に出場させるべきではない

と判断したからではないかと妙に納得している。

 

QED

自分にとっては

ジョホールバルの「歓喜」と言うよりは

ジョホールバルの「円陣」として記憶に留めています。

自分が日本代表の勝利、

即ちW杯出場を確信した瞬間です。

 

前後半闘って15分ハーフの延長戦に突入する直前に

チーム全員で円陣を組んだ瞬間です。

キーちゃんが栄養士の女性を手招きして

選手のみならずスタッフ含めて全員で円陣を組んだ瞬間です。

これ以降、自分は日本代表の敗北を微塵も感じることがなくなり、

勝利のみを確信してテレビで観戦したのを憶えています。

ヒデが岡野をウイングサイドに走らせてビッグチャンスを演出し、

ゴール前に誰が飛び込んで得点するのか?

そんな想像をしながらテレビで観戦していました。

 

人間が力を発揮する一番の原動力は「感情」だと思っています。

控えメンバーも含めてチームが一体となることがチームに勝利をもたらすのだと言うことを

高校・大学と学生時代のサッカーを通じて嫌と言うほど思い知らされてきたので、

このように一体となったチームの選手は個人個人が、

相手を恐れることなく、我こそはと奢ることなく、我先にと欲をかくこともなく、

チームの勝利を目指して冷静に戦うことができると確信したのです。

 

「中田英」、「名波浩」、「山口素」で創る日本代表の中盤。

アジア最終予選突破の原動力となったのは間違いなくこの3人で

日本代表史上最高の中盤だったと思います。

 

No.8 AMC 中田英寿 age:20 ベルマーレ平塚

A代表デビューの韓国戦で、宿敵韓国の選手を相手に、

スキルの高い選手でありながら当たり負けしない、

初めての日本代表選手の出現を頼もしく思ったものです。

ジョホールバルの延長戦では

先発で一人だけ動ける状態にあったので

「それまでサボり過ぎてたんぢゃないの?」と勘繰りながらも

全員へばっていたら勝てないし、

W杯出場を決めても喜びをあらわにしない、

そんな奴がチームに一人くらい居ないと駄目なんですよ。

 

No.10 名波浩 MC age:25 ジュビロ磐田

泥まみれのナンバー10

ジュビロのオフト監督が「世界で一番ユニフォームを汚す10番になりなさい。」と指導したことを体現したプレーヤーだったと思います。

上記画像は山口素がインターセプトしたボールを拾った名波が左サイドに開いたヒデに展開するシーンです。

この後、ヒデのクロスから城のヘディングでの同点ゴールが決まります。

ヒデほど身体能力に恵まれてはいないけれど、

左サイドバックの相馬とフィールドのアーティスト名波で創る左サイドの攻撃は、

調子が良い時は抜群に機能する日本代表の武器だったと思います。

 

No.6 DMC 山口素弘 age: 28 横浜フリューゲルス

敗れはしたけれどホームの韓国戦で魅せた芸術的なループシュート。

ジョホールバルのイラン戦で魅せた魂のインターセプト

山口素が絶対絶命のピンチをクールな判断で救い、
名波浩-中田英と繋いで城の同点ゴールを演出します。
ヒデと名波を後方から支える彼が
守るだけでなくスキルと戦術眼を持っていたことが
日本代表史上最高の中盤を構成する要因となったと確信しています。

 

QED

非国民と言われようが

1982年スペインワールドカップのイタリア代表と答えます。


2nd Stage Group 3 Italy vs Brazil 3-2 Jul 05 1982 Barcelona

後列左からZoff,Antognoni,Scirea,Gentile,Collovati,Graziani

前列左からRossi,Conti,Oriali,Cabrini,Tardelli

 

何故、好きなのかと言えば、チームとしての一体感を一番感じるからです。

チーム全員が勝負所を心得ていて、此処ぞと言う処で皆が同じタイミングでスイッチが入り、一気呵成に攻め上がり、物凄いパワーを発揮するのです。

サッカーって、パスの受け手と送り手、異なる考えを持つ個々人が、如何に同じイメージを共有してプレーできるかが一番大事だし、それが楽しみや喜びだと思うのです。

 

No.1 GK Dino Zoff (c) age:40 Juventus

相手FKの際、ゴールポストに張り付いて、味方に指示を出す姿が目に浮かんできます。

74年と78年は相手にロングシュートのスーパーゴールを決められるシーンばかりが目に付いて可哀相でしたが、82年は40歳にしてW杯を掲げることが出来て救われたような気持ちになりました。

戒厳令が敷かれたチームで唯一マスコミを相手にしたキャプテンで広報係。

 

No.4 LB Antonio Cabrini age:24 Juventus

78年に左サイドを疾走した若駒は、82年に最盛期、86年に円熟期を迎えます。

ファケッティ(1966-1970-1974)

カブリーニ(1978-1982-1986)

マルディーニ(1990-1994-1998-2002)

イタリア代表の左サイドバックは歴代皆、伊達男で攻撃的。

 

No.5 DC Fulvio Collovati age:25 AC Milan

余り目立ちませんが、ユベントスで固めたDF陣に只一人ACミランから選出されるのは実力者だからこそ。

相手センターフォワードにしてやられたシーンは一度もありませんでした。

 

No.6 RB Claudio Gentile age:28 Juventus

イタリア代表の右サイドバックは相手のエース10番をマンマークするのが役目です。

二次リーグでマラドーナとジーコを完封し、準決勝では互いに累積警告の出場停止として相手エースのボニエクを完封し、決勝では西ドイツの若きエース・リトバルスキーを完封したエースキラー。

 

No.7 DC Gaetano Scirea age:29 Juventus

あの守備の天才バレージが代表では長らく控えに廻るほどの実力者。

スウィーパーとしてカバーリングに秀でているかと思えば、相手ペナルティーエリアまで進出する攻撃力を兼ね備えたリベロ。

決勝戦の2点目は相手ペナルティーエリア内でのシレアとベルゴミのDF同士のパス交換から生まれたことも、このチームが如何に全員攻撃全員守備が徹底されていたかを物語る事実と思います。

 

No.9 AMC Giancarlo Antognoni age:28 Fiorentina

イタリア代表と言えば1970年メキシコW杯でマッツォーラとリベラの両雄を並び立たせず、同じピッチ内に二人のファンタジスタは不要論争が巻き起こったことで有名ですが、1982年のイタリア代表には右ウィングと中盤の左サイドに二人のファンタジスタが同じピッチ内で共存していたからこそ強かったと思います。

右ウイングのファンタジスタがコンティなら、中盤左サイドのファンタジスタがアントニォーニ。

視野の広さとパスの精度を兼ね備え、攻撃をオーガナイズする司令塔であり、演出家の「レジスタ(操る人)」。

所属チームのフィオレンティーナではバッジオの先代にしてフィレンツェの至宝。

 

No.13 DMC Gabriele Oriali age:29 Internazionale

ガットゥーゾが居るからピルロが輝くように、オリアリが居るからコンティやタルデリ、アントニォーニが輝く。

ボール奪取の専門家「インコントリスタ(奪う人)」。

 

No.14 MC Marco Tardelli age:27 Juventus

瞬発力と持久力を兼ね備えた「インクルソーレ(襲う人)」であり、

中盤に求められるあらゆる要素を兼ね備えた「メディアーノ」であり、攻撃に守備に幅広く活躍する「飛車角」。

決勝で2点目をあげた時の「タルデリの雄叫び」は余りにも有名。

82年のタルデリはある意味フットボーラーの完成形だったように思われます。

 

No.16 RW Bruno Conti age:27 AS Roma

左利きの右ウィングはメッシで有名になったけれども、此方が元祖。

攻撃時は右ウィングの「アーラ(翼)」であり、守備時は右サイドバックの位置まで戻ることの出来るハードワーカーの「トルナンテ(戻る人)」。

「カテナチオ(守ることしか出来ない)」のイタリアに居る唯一の「ブラジル人(テクニシャン)」で、あのペレも認めたエスパーニャ82の真のMVP。

82年は彼の為の大会と言っても過言ではないと思う。

 

No.19 LW Francesco Graziani age:29 Fiorentina

前線で身体を張れる泥臭いFW。

フィオレンティーナの核弾頭も代表では脇役に廻り、彼の献身的な働きがロッシのゴールを生む。

 

No.20 FC Paolo Rossi age:25 Juventus

グラッツィアーニが身体を張ってくれるから、ロッシにチャンスが廻って来るんです。

優勝候補の筆頭であるブラジルを奈落の底に突き落としたハットトリックは世界中の人が忘れない。

二次リーグで覚醒し、得点王とMVPの二冠に輝いた点取り屋。

 

Coach: Enzo Bearzot age:54

周りからどんな厳しい批判を浴びようと自分の信念を最後の最後まで崩さない。

ロッシの覚醒を呼び覚ましたのも監督である彼がロッシを信頼して起用し続けてくれたからこそ。

それにしてもW杯本大会の1次リーグ3試合と2次リーグ初戦の計4試合を、エースが調子を取り戻すためのリハビリテーションに充てる肝の据わり具合は感動モノでした。

78年W杯本大会で優勝したアルゼンチンと若き「将軍」プラティニ率いるフランスを相手に活躍した経験はリーグ戦の100試合にも代え難い宝物だったということでしょうか。

どうでも良いけど「エンツォ」って名前が、格好良過ぎて憧れてしまいます。

 

QED

 

 

 

 

彼が決勝のピッチに立った時、信じられないと言った驚きの気持ちを表す人が殆どであったが、術式が内視鏡であることを聞き、左膝前十字靭帯の手術を三度経験している自分にはもしかしたら有り得るかもしれないと言った予兆が感じられたのである。

最初の手術は膝にメスを入れたが、二度目以降の手術は内視鏡を使った術式で次の日から立てる、歩けると云った感覚を覚えたのだ。

丁度、内視鏡に術式を移行する端境期だったのだろう。

膝にメスを入れた場合、術後目を覚ますと、もう自分の脚では無いと言う感覚となり、長く辛いリハビリの日々が必要となるのだ。

1994年のイタリア代表DF陣はACミランとパルマの8人から構成されている。

 9 Tassotti   - 4 Costacurta - 6 Baresi (c)   - 5 Maldini

 8 Mussi      - 2 Apolloni   - 7 Minotti - 3 Benarrivo

二戦目でディフェンスリーダーであり、チームのキャプテンでもあるバレージを失ったイタリアDF陣はLBが本職のマルディーニを左CBに据え、コスタクルタとのコンビで決勝まで駒を進める。

--------- Jun 18  New York vs Ireland  0-1 ---------------
 9 Tassotti   - 4 Costacurta - 6 Baresi (c)   - 5 Maldini

--------- Jun 23  New York vs Norway  1-0 --------------

 3 Benarrivo - 4 Costacurta - 6 Baresi (c)   - 5 Maldini

 3 Benarrivo - 2 Apolloni      - 4 Costacurta - 5 Maldini

-------- Jun 28  Washington DC vs Mexico 1-1 ----------
 3 Benarrivo - 2 Apolloni      - 4 Costacurta - 5 Maldini

--------- Jul 05  Boston vs Nigeria aet 2-1 --------------
 8 Mussi      - 4 Costacurta  - 5 Maldini - 3 Benarrivo

--------- Jul 09  Boston vs Spain 2-1 ------------------
 9 Tassotti   - 4 Costacurta  - 5 Maldini - 3 Benarrivo

--------- Jul 13  New York vs Bulgaria 2-1 --------------
 8 Mussi      - 4 Costacurta  - 5 Maldini - 3 Benarrivo

--------- Jul 17  Los Angeles vs Brazil 0-0(2-3) ----------
 8 Mussi      -  5 Maldini   - 6 Baresi (c)  - 3 Benarrivo

 3 Benarrivo - 2 Apolloni  - 6 Baresi (c)   - 5 Maldini

----------------------------------------------------

準決勝で警告累積により右CBのコスタクルタを失ったイタリアはミランのCBとパルマのSBでゲームをスタートするが、前半31分にCBのアポローニを投入し、マルディーニを本来のLBに戻して、延長を含め120分間ブラジルの猛攻を耐え忍んだ。

左脚で大きくクリアした後、ピッチに倒れこむバレージ。

終了間際には再び脚が攣ってタンカで運ばれるバレージ。

ワールドカップの優勝をPK戦で決するなど馬鹿げている。

PKを外したのはこの二人

ポジション別にアルファベット順で背番号を決める慣習のイタリアが唯一固定番号とした攻撃と守備の両輪の二人

一人目でPKを外したキャプテンのバレージには、外した直後、相手GKのタファレルが直ぐに慰めに行く姿が印象的でした。

真の蹴闘士(ジョカトーレ)には、剣闘士(グラディエーター)を称える唄が良く似合う。

それでも彼は悔しくて泣いたのでは無いと信じたい。

自分が野戦病院で復帰に向けて闘志を燃やしている間も

戦い続けてきた仲間に「ありがとう」と言う感謝の気持ちから

嬉し涙が頬を伝い流れ落ちたのだと信じたい。

 

QED

この素晴らしいゴールを見た瞬間に思ったこと。

それは本物の(生粋の)(生まれながらの)ストライカーだったら

この状況で(このドフリーな状況で)

一か八かのボレーにいくか(賭けるか)

と言うことだった。

 

その時に自分の頭の中を過った映像が此方。。。

80年代後半から90年代前半にかけて、イタリアリーグと西ドイツとオランダが欧州サッカーの主役だった。

正義の「オランダ」と悪役「西ドイツ」の構図。

それは「オランダ」のストライカー「マルコ・ファン・バステン」と「西ドイツ」のストッパー「ユルゲン・コーラー」の戦いに他ならなかった。

二人の戦いは国際試合が終わっても「ACミラン」のストライカー「ファン・バステン」と「ユベントス」のストッパー「コーラー」として、普段のリーグ戦の中でも続いた。

試合時間90分の中で僅かな隙が生まれるのは一度か二度くらい。

その僅かな隙を見逃さず、確実に得点に結びつけるのがストライカーの役目。

 

やっぱりあの場面では胸トラップで利き足にボールを置き、右45度から左のサイドネットにズドンでしょ。

右45度からの得点

あぁ、自分はテレビのアナウンサーや解説者には絶対向いていないな。

 

QED

自国開催のW杯決勝、

相手は飛ぶ鳥を落とす勢いで決勝まで駆け上がった「空飛ぶオランダ人」クライフのオランダ、

と言う誰しもが緊張する舞台でこの優雅なプレー振りですからね。

シェーン監督に代わって西ドイツチームを統率し、全軍が皇帝の指揮下にあることが画面からも伝わってきます。

あのロストフの悪夢も最終ラインに皇帝が居たら

香川は左サイドのまま右サイドバックのマークに張り付かせ

自身は高速ドリブルで中央を突進してくるデ・ブルイネを悠々と待ち構え

焦って迂闊に飛び込むことはせず

ペナルティーエリアまではディレイで味方の帰陣を信じて待ち

心理戦では常に優位に立ち相手を心理的に追い込み

最終的にはGKと協力して1️⃣対2️⃣の関係に持ち込み失点を防いだことと考えます。

 

 

QED

新年度のスケジュール🗓が出揃った。

平日休みは月曜日にして自分へのご褒美は表参道でわかにゃんエアロ

火曜日も表参道でわかにゃんステップを眺めながらジムで筋トレにでも勤しもうか( ̄∀ ̄)

水曜日と木曜日は四谷がエライことになっているけど、ここはひとつ華麗にスルーを決めてみようか( ̄∀ ̄)

金曜日は㊗️以外は恐らく一度も実現することはないだろうが、平日に休んで原宿でわかにゃんを信じてスタジオに足を踏み入れてみようか( ´ ▽ ` )
ってか本当に猫を信じて良いのか⁉️
猫だぞ、猫🐈( ̄∀ ̄)


土曜日は上原でななみん💕に癒されて

日曜日は溝の口でヨガってみるか⁉️

友達よこれが私の一週間のエアロです。

それにしてもセクシーキャットの活躍ぶりは凄いな



しかし何とも豪華なラインナップである。

渋谷で萌絵るか⁉️

四谷で

タティるか⁉️

それにも増して気になるのが此方GG原宿

セクシーキャットが俺等を誘うのである。
かつてのエアロの聖地
GG原宿でにゃんステにデビューしちゃうか( ̄∀ ̄)