昨年送った挨拶状を添付する

拝啓
 今年は十七回目となりました。十日八時四十五分に僧侶三人、御詠歌や参列者十数名と共に黙祷し亡くなられた方の追悼供養、並びに、乗船されていた方々のご健康回復を祈念しました。
 お菓子のお供えや貝柱のお土産を頂きました。恐縮です。
 いくらか思ったことを書きます。
①なぜデモンストレーションを軍事企業の家族としていたのか。
②ワドルさんは本当に出世のため非番にもかかわらず、目的外行為をしたのか。
③主犯のはずの上官はなぜつかまらないのか。
④知事を始め郷里の人々はどうすべきだったのか。
⑤再発防止が真相解明とその共有でなくして可能なのか。
⑥(過剰な)軍隊は本当は必要なのか。
⑦犠牲者の困難が報道されたのか。あるいは共有できたのか。
 こんなことを思うのは不遜なことでしょうか。今年の愛媛新聞には多少とも勇気づけられました。一人でつぶやくということがどんなに困難なことかということも改めて知りました。誰かがサポートしてくれるということはこんなにも心強いことなのです。一地方の僧侶が始めたことですが、今年も少なくない人々がこのために集まってくれました。シクラメンをお供えしました。
 心から冥福と御安寧をお祈りするばかりです。
 また皆様の健勝、健康をお祈りいたします。

敬具
みなさまへ
石手寺住職

こちらは今年の案内状だ

11日石手寺天災人災供養塔で八時四十五分に行う

拝啓
 新年を迎えました。今年は寒波が激しく体温を奪っていきます。みなさまお変わりございませんか。
 今年も来る十一日同時刻に、亡くなられた方々の冥福をお祈りしたく存じます。また今も遺族の方々はお悲しみと存じます。事件に遭われた方々は辛い思いを背負って奮闘されていることと存じます。ご縁があって当寺では供養塔を建立しました。事件直後に第一回目のご供養を行い、毎年この日に集まってご供養しております。
 こうしてお便りを出しますと、ご返事を頂いたり、近況を伝えていただくこともあり、その度に心を引き締める次第であります。また貝柱やお菓子などをお備えいただき有り難い気持ちになります。この地上に生れて人と人とが仲むつまじく生きることが求められますが、なかなかそれぞれのご事情もあって、対立やら悲しみやら憎しみやらが絶えないのが今世であります。お釈迦様は心を落ち着けて煩悩の火を消せとおっしゃいますが、なかなか耐えられるものではありません。ましてや命が奪われ突然の恐怖や悲しみに襲われた皆様にとっては、この苦難をどのように受け止めれば良いものかと困窮され続けていると存じます。
 十八回目の供養であります。心を引き締めて逝かれた人々に思いをお伝えしたく誠心を捧げたく存じます。
 寒冷の日々が続きます。みなさまお体にお気をつけてお過ごしください。

敬具
みなさまへ
石手寺住職

追伸 お便りを頂ければ幸いです。