毎年117に被災者の方と共に545に祈りをします。追悼と復興と共感と和解でしょうか。特に非被災者にとっては被災者の声を聞き勉強する場であります。

さて今年は20年だとマスコミが言っています。同窓会のようになった記念の日。今も交流のある百名弱に案内を出しました。以下の内容です

拝啓
 みなさん お元気でおすごしでしょうか。
 地震から20年になりました。それぞれの方にとっての二十年目は、その人その人の思いがあると思います。「この季節になるとどうしても体がいうことをきかない」とか「息苦しくなる」・・・。それぞれの気持ちをお察しいたします。
 先日あるかたとお話ししました。「なんにもなくて、お皿一枚なくて、小さな子供たちを抱えて必死でした」。
 私は東灘のビルに段ボールを敷いて毎日全国から寄せられる文房具を須磨から西宮までの非難所に配っていましたが、ある晩、現地スタッフがこう言いました。
「なんで神戸なんや」どういう意味かは分かりませんが、私は松山でなくて神戸、私ではなくて被災者というように聞こえました。それから私の二十年が始まったように思います。
あるときは「ボランティアいうけど何してくれたんや」と罵られあるときは「この年でこんなうれしい気持ちを貰った」と喜ばれ、灘区では美味しいキムチを頂き、沢山の叱咤激励と、勉強をさせてもらいました。
 ただ思うのは、みなさんがお皿一枚ない状況から這い上がろうとしていたときに、私は何を思い、そして何が出来たのかということです。
 この間、短冊には、生きるとか皆一緒の文字を刻みました。そしてそれは今もお寺の境内にあります。共感とか共生もありました。綺麗な言葉は思いつきましたし、今では天から降ってくる言葉となりましたが、それに伴う行動は覚束ない状況です。
 それでも、皆さんが背中をおしてくれた被災者の交流会は、東日本震災の避難者の交流会へと引き継がれました。その人々は、毎月集い、東北弁でとうとう裁判訴訟という動きにもなりました。江戸の仇を長崎ではありませんが、痛みを歓喜に変えていくこともあると実感します。
 みなさまには充分なことが出来なかったことを恥じお詫び申し上げます。
 今後も小さな心臓に響く限り前進していきたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
 みなさまお元気で。
敬具
石手寺住職 加藤俊生


▼1月17日 午前5時半より
   阪神淡路震災慰霊祭
 
    5:15 希望の灯点灯
    5:46 本堂にて黙祷、追悼読経
    6:10 打てば響く会 追悼と希望の太鼓演奏

ということで
灯文字は何にしましょうか
皆さん提案してください

希望の明かりは今も寺に灯り30日に遍路行脚して毎年大晦日の戦争半径平和万灯会にともる



これは今短冊に

なくなられたわたなべさく