遍路修行

 去る十二月第一日曜日に自死の家族が集まられ供養会をいたしました。二十家族約四十名の参加でした。ご一緒にお経をあげて、亡くなった方々の供養したあと何人かが残って話し合いをしました。

 今回の参加者の方の何名もが遍路の途中でこの供養会の開催を知って参加されていて、驚きました。この新聞を見た方、お遍路さんに聞いて知った方、そして遍路の途中でこの寺にわざわざ来た方などです。
 そして、二度目の歩き遍路に出ている方が、お話されました。

「お遍路に出ると、本当に不思議なことがたくさん起こるんです。そして人生について深く考えるようになりました」。また女性の方は、お遍路の途中でやはり子供さんを亡くされてお遍路している方に遇われた話をされました。

 私自身も遍路行が二十回近くになりました。昨年は友人が自死されて、その供養にまわることとなりました。今でもその時の「シニタイ」という言葉を思い出すと胸が締めつけられます。
 お遍路の不思議について語る方は、いろいろな人にめぐり遇えることが不思議だといいます。そしてどうも、普段よりも親密になるようです。普通は話せない自分の打ち明け話をしたり、相手の話を真剣に聞くことができるのだそうです。

 それには私も全く同感で、お遍路に出ていると、気持ちが変化します。そしてお遍路さんと出会うとまた気持ちが変化します。なぜか敬虔な気持ちというのでしょうか、まじめな話になって、自分も自分の暗い部分というか、日頃は封印している悲しい気持ちや苦しい気持ちを解放しようとするのです。

 当然それは、その聞き手である相手のお遍路さんがそこにいるということなのです。聞き手であるまじめな人間がそこにいるということなのです。それは得難い友なのです。
 弘法大師が若いときの書物に書かれている親友も遍路の友です。
 また衛門三郎が再生するのも、遍路の友のお陰なのです。
 人は人に傷つき、人は人に癒されて、人と人との信頼を取り戻して、自分の人生を取り戻すのでしょうか。

毎年第一日曜日にお寺で供養会をしています。そのあと懇談会です。どなたでも参加できます。
昨年は20組弱40名のかたが参加されました。