国と東京電力への福島第一原発損害賠償訴訟
第一回公判が松山地裁で1月13日16時よりあります。皆さん来てください
避難者の方々は、真相究明したいと願っています

以下毎日新聞より

 「おらだって、本当は帰りてぇよ」。「もう疲れ切った」--。東日本大震災の発生から3年半となった11日、松山市石手2の石手寺で追悼行事「追悼と復興の祈り」があった。県内への避難者約10人も参加したが、復興や古里へ帰る道筋が見えてこない現実に、あきらめ交じりの言葉も聞かれた。被災者たちの迷いと苦しみの日々は、今なお続いている。【中村敦茂】

 本堂であった式では、宮城県石巻市で被災し、松山市に避難している宇津木武志さん(36)があいさつ。この日、石巻は大雨。「これでまた復興が遅れる」と落胆した。松山でパート社員の職に就いたこともあり、「今の生活を壊したくないし、壊して戻っても、また一からやり直し。だけど宮城を捨てた気はないです」と複雑だ。「帰りてぇけど、今帰っても仕事はねえし、家もねえし、友達だっているかいないか分からない。半分あきらめている」と声を震わせた。

 参加者たちは犠牲者へ黙とうをささげるなどし、式の後は、昼食を共にした。福島第1原発事故で福島県南相馬市から松山市に移っている農業、益山(ますやま)哲雄さん(67)は「帰ったらいいか、こっちにいるか、日々迷いの連続」。福島ではサクランボや梅などを育て、近所に開放して果実狩りを楽しんでもらうこともあったという。「今は誰も取らない実が地面に落ちて惨めなもの。畑まで除染をやってもらえればいいのだが……」

 福島市からの避難者の女性は「愛媛の人はよくしてくれるが、福島の時のような生活には戻らない。初めは仮住まいだからと我慢していたが、疲れ切った。どうにかして、というのが本音」と漏らした。

 加藤俊生住職は「被災者が当初持っていた『古里へ帰れる』『放射能の問題も解決される』といった当たり前の希望が、不本意な生活の中で失われてきたのではいけない。希望を取り戻すためにできることを、もう一度確認したい」と語った。

 ◇真相究明、責任明確化で訴訟

 福島第1原発事故により県内で避難生活を送る人の一部は、国と東京電力への損害賠償訴訟に踏み切っている。被害救済だけでなく、訴訟を通じた真相究明と責任の明確化も目的だ。

 県内の6世帯12人が今年3月10日、松山地裁に提訴した。現在、裁判費用の支払い猶予を求める「訴訟救助」の手続き中で、今後、口頭弁論が始まる。原告の1人で福島県南相馬市から伊予市に避難している渡部寛志さん(35)は、この日の追悼行事にも参加。「福島では原発事故による震災関連死で多くの方が亡くなった。無念の思いを受け止め、惨事を起こさない体制づくりを訴えていきたい」と、思いを新たにしていた。

 原告団は、愛媛以外の四国3県も含め、追加の提訴者を募っている。問い合わせは、訴訟を支える会事務局の石手寺(089・977・0870)。同会は訴訟費用のカンパも受け付けている。
2014年09月12日