私が本格的に着物を着るようになったきっかけは、2年前、友人に誘われて着付けを習い始めたことでした。最初は「着物を持っていないし、着る機会もないだろう」と悩みましたが、練習用の着物を貸してもらえると聞き、「これを逃したら自分から始めることはないだろう」と思い切って習い始めることにしました。
着付けの手順を覚えるうちに「きれいに着たい」という気持ちが高まり、どんどん着物にのめり込んでいきました。そして、なるべく着物を着る機会をつくるように心がけ、ランチやディナー、観劇やコンサートなども着物で出かけるようになりました。その甲斐あって、今では周りの人から「着物の人」と思われているようです。
当初は、着物がこれほど自分の生活を変えるとは思ってもみませんでした。着物と出会ったことで茶道を習い始め、さらに「着物を着たテーブルマナー講師になろう」「着物の所作を伝えたい」という新たな夢が生まれました。着物を学ぶうちに、日本の歴史や美しい文化、美意識の深さ、そして奥ゆかしく慎ましい日本人の気質を知り、日本人に生まれてよかった、これらを知らずに生きていたらもったいなかった、と心から感じています。
若い頃は海外が好きで、短期・長期の旅行を重ね、2年間住んだ国もありました。その頃は「Noと言えない日本人」「意見をはっきり言わない日本人」と自分の国に対して否定的な気持ちを抱いていた部分もあったと思います。20年以上前のことですが、海外で日本について聞かれたり、俳句を作ってと言われたりして戸惑った経験もありました。「もっと日本のことを知っていたら…」と思うこともしばしばでした。
今なら、日本人がはっきりと意見を言わない理由が理解できます。それは相手の立場を思いやり、調和を重んじる文化があるからです。日本人同士では共通認識のもと、あえて言葉にしなくても伝わることや、相手の意図をくみ取ろうとする力があるのだと気づきました。こうした日本人特有の価値観を改めて知ることで、日本人であることを嬉しく、誇りに思うようになりました。
着物を着るようになってまだ2年ほどですが、これほど意識が変わり、興味の範囲が広がるとは思っていませんでした。しかし、これは私だけの特別な変化ではなく、日本人誰しもが元々持っている感性を、私の場合は着物がきっかけで思い出したのだと思います。
10代と20代の息子たちに、私が感じる日本の良さや美しさについて話すことがあります。彼らも否定することはなく、「へえ、なるほどね」と、完全には理解できていないものの、何かを感じ取っている様子を見せます。
最近では、海外から見た日本の素晴らしさを伝えるテレビ番組も多く、昔の若者よりも今の若い人たちの方が、日本人としての誇りをきちんと持っているのかもしれません。
先日、「陰翳礼讃」という言葉を知りました。その瞬間、AIが生成した絵を見て「奇妙で不快」と感じた理由がはっきりと分かった気がしました。それは、陰影を重んじる日本人特有の感性が失われているからだったのです。
こうした日本人が元々持つ感性を再認識する経験を積み重ねることで、日本人としての誇りをはっきりと自覚できるのではないでしょうか。そのためにも、大人である私たちがさまざまな「種」をいろいろな場所に撒いておきたいと思っています。