永眠致しました。


父の時もそうだったが、とっても面倒な役所関係の書類があって、◯◯書士に頼めれば少しは気持ちが楽かもしれないが、これから自分でやるしかありません。


夕方、母は私がちょっと離れた時に失神し、また低血圧の失神かと思ったのですがいくら呼び続けても意識が戻らなくて、とっても息苦しそうなので救急車を呼んだのは18分後くらいでした。最寄りの救急車は出動中で、離れた所から来てくれました。受け入れできる病院がやっと決まってやっとそれほど遠くはない隣町の病院へ。とても面倒な入院の手続きをしてやっとベッドの上の母に会えましたが意識は戻ってませんでした。


病院から入院のための洗面用具や着替えとか紙おむつをどうするか聞かれ、費用を抑えたいので一旦帰って私が自宅から持ってくることにしました。今思えば戻らない方がよかったのです。


(つまり入院の準備品はいつも用意して置いて救急車と一緒に持って行くべきだっと思います。今更でですが誰も教えてくれませんでした。)


その時は安定しているので大丈夫だろうと言う判断でしたから、一旦帰宅して食事して入浴して、荷物をリュックに入れて病院へ。


再び病室に戻ると母の意識は戻らないまま。少しして職員が紙おむつ交換をしてくれました。しばらくしてベッドサイドモニターの緑ランプが赤や青にになる時があって、「もしかして・・・そんなはず無いとか」思ってました。そしてその深夜に永眠しました。急性大動脈解離でした。担当医は既に帰宅、看護師が見に来たのは息が止まるとほぼ同時でした。少しして別の医師が死亡確認に来ました。


登録しておいた葬儀社に電話し来てもらい夜明け前には病院から帰宅しました。今でも悪い夢のようにしか思えない一夜です。その2日間、なぜかとても良い天気だったのが印象に残ってます。でも、その日からいつも家に居た母が居ないことを、空いた布団を見るたびに、夢でなくて現実なんだと気づくのです。


介助の時、あれほど大嫌いで嫌だった母が、今はとてもいい人に思えます。もっと優しくしてあげれば良かったと、もっと母の苦労を聞いてあげれば良かったと、後悔ばかりの毎日になりました。小さい時いつも優しくしてくれた事を今頃になって思い出して、最後の最後まで親不孝な子供だったと、今更気づいても手遅れなんですが・・・・。


2026年5月3日(日)15時53分