6年前ツインレイという言葉を知って

不思議な体験を通してたくさんの事を学んできた

昔とは比べ物にならないほど経済的にも精神的にも自立ができた


6年前までは一般的な普通の恋愛をして、相手によっては警察沙汰になるほど愛憎劇を繰り広げ、それは当たり前だけどドロドロとした成長とはほど遠いところにあった


サイレント期?私にはどうでもいい期間

そもそもツインレイという言葉も古臭く感じていたので、何年も続きそうなサイレント期なんてどうでもよく、相手の事は忘れて自分を大切にしようと決めていた


同じ時期にツインレイに関してのブログを書き始めた方たちも、それぞれ悩み苦しんだ後に、さっぱりとした感情でブログを書いているところをみると、ある程度修行が終わっているのかな?と感じる



特に4年間ツインレイと思ってた人には出会えて良かった、それだけの気持ちでいる



次のパートナーとの別れでそれ以上好きな人は現れず、私にしては珍しく1年半もパートナーがいない状態が続いている



そんな中で久しぶりにテレパシーを感じていた。誰なんだろ?って思うと必ず元のパートナーからLINEがきた。一言『元気にやってる?』と来る

ここ1ヶ月に2回来たので間違いなくパートナーのテレパシーだ



なんだろうか?今の彼女と上手くいっていないのかなと想像したりする(聞いたことがないので、新しい彼女がいるかいないかも不明)



今日は割と時間があったからこちらから久しぶりに連絡をしてみた。観葉植物の事や新しく購入したマンションの内装の話などしていたら、彼から電話が来た。



今◯◯にいるって。あぁまた大きな仕事をするのかって思ったら、今月彼から度々連絡が来ていた意味が分かった



彼と別れる前や別れた後、上手くいかなかった頃を振り返ってみて、今までの彼の気持ちが何となく分かった


そのうちのひとつの理由として、彼は大切な作品を私にちゃんと見てほしかったんだなって気が付いた



出会ってから一度も見に行っていない。その度に彼が超不機嫌になっていた💦私は男心がまるで分かっていない…



まるっきり話は変わるけど、私は不思議な体験をして何故かヴィーガンに近いベジタリアンになった

とにかく生き物が可愛くて仕方なくなった。虫との交流で、小さな虫にも意識があるって知った



同時にそれは怖いことだった。今までの生き物に対して行ってきた行為に対して後悔でいっぱいになった


人間のしていることの残酷さには泣きたくなるほど悔しく、動物たちには申し訳なさでいっぱい

知らない人達は早く気がついて



つい最近新居に置こうとしたお気に入りのソファーは、高価ではあったけど座り心地が抜群だった

でもその座り心地の良さにはフェザーが使われている事からだったみたいで、それが分かって悩みに悩んで購入を断念した



このソファーを作るのに残酷なことが行われ

いくつもの尊い命が無惨に失われていると思ったら無理だった


 



洋服もそう

私たちは少しづつで良いから本当の事を知って

生き物に対して、自分の周りの人、自分に対してもっと愛情を注がなければいけない時期に入っていると思う



こんな可愛い子達を犠牲にして、感謝を込めて使えば、感謝をして食べれば良いとかいう偽善はやめた方が良い



あなたは感謝をされれば、他の生き物に何をされても良いですか?

可愛い子供や愛するパートナーがこんな目に遭ってもまだ感謝すれば良いって思えますか?



人間によって狭いところに閉じ込められ苦しんだり殺される生き物が沢山いる。それは私たちと同じ生き物



痛みも悲しみも同様にあるの。悲しい時は泣き叫んでいる。子供が産まれたら愛情を注いでる

私たちの飲む牛乳は本当は牛の赤ちゃんが飲む為です。私達が代わりに飲んでしまったり破棄してて 

じゃ〜牛さんの赤ちゃんはどうなっているんでしょうか。…とても残酷な事が行われているのです



自分が、周りの大切な人が同じような目に遭ったらどう思いますか?



動物達は本当に感情豊かです。私は6年前にようやくこの事を知って少しづつ変わっていきました



今からでも遅くないです