イランの戦争が心配です。イランは今ではシーア派イスラム教を国教とした、黒々としたヒジャブとかチャドルとかに覆われた国ですが、17世紀のペルシャ王朝のころには、王都イスファハーンは「世界の半分」と呼ばれ、アジアとヨーロッパの各地から言語も宗教も異なる商人と商品、文化・芸術が集まり、世界の産業と文化の中心地でした。民族音楽研究者の小泉文夫氏は、「死ぬ前に聞きたい音楽を一つだけあげるならば、ペルシャの古典音楽だ。」と言っていたそうです。
イスラームの経典はコーランです。コーランには信仰の基本から日常生活の細かなルールまで網羅されていますが、音楽については何も書かれていないようです。また、豚肉を食べてはいけないことなども特に書かれてはいません。書かれていないことについてはホメイニーのような宗教指導者がその都度決めることになっています。
一般にイスラームでは、音楽そのものより、その目的と内容が重視されています。そのため、宗教的な儀礼のための曲や教育的な歌、戦意高揚のための軍楽などは許容されています。モーツァルトやベートーヴェンのトルコ行進曲のもとになったオスマン帝国のイェニチェリ軍楽隊も、国家の威信を示し軍隊の規律を保つという「公的な目的」があったため、大切に維持され発展してきました。「ジェッディン・デデン」という曲は日本でもドラマに使われて有名になりました。
イスラム諸国に旅行すると街に鳴り響く、礼拝の呼びかけ(アザーン)やクルアーンの読誦(どくしょう)は、旋律があっても「音楽」ではないと見なされます。アザーンは、純粋に「神の言葉を伝える声」だとされているからです。楽器の音色は「人の感情」を揺さぶりますが、人間の声は「人の魂」に直接訴えかけると考えられています。このため「声」の美しい響きは、ペルシャの古典音楽でも広く受け入れられていました。しかし、飲酒や不道徳な場を伴うもの、偶像崇拝につながるもの、神への義務を忘れさせるような過度な娯楽音楽は禁止されています。
一方、異端とされているイスラム神秘主義(スーフィー)では、むしろ音楽を「神に近づくための手段」として積極的に取り入れています。トルコの「メヴレヴィー教団」の旋回舞踊では、葦笛に合わせて踊ることで、神との一体感を目指しています。
インドネシアは世界最大のイスラム国家ですが、ガムラン音楽という伝統芸術が有名です。インドネシアにやってきたイスラム教徒は主にインド商人で、宗教より商売に熱心であったため、伝統的な歌舞音曲とイスラム教の布教を、よりよく共存させてきたと言われています。
ところで、イスラム教の開祖であるムハンマドはうたを歌ったのでしょうか。過酷な労働の時などは、彼が仲間たちと共に、リズムに合わせた短い詩や掛け声を唱和して士気を高めたという記録があります。イスラム版「ヨイトマケの歌」でしょうか。
音楽を宗教儀礼に積極的に取り入れたキリスト教は、どうだったのでしょうか。イエス・キリストが歌ったという記録は、新約聖書の中の「最後の晩餐」にあります。イエスは弟子達と共に賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけて行ったとされています。歌ったのは旧約聖書の詩篇の「ハレル・ハレル」と呼ばれる賛美詩であったと考えられています。
仏陀(釈迦)が歌を歌ったという記録は、経典の中にはないそうです。しかし、とても良い声でお説教をしたので、動物たちまで聞き惚れたという伝説もあり、それが現在でも声明となって伝わっているのかもしれません。
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