クローバー混声合唱団のブログ

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歌大好き!打ち上げ大好き!むしろそっちかな?

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クローバー混声合唱団は
2026年に60周年を迎えます。
来年記念演奏会を予定しています。
 

●団員を募集しております
●どなたでも大歓迎
 
ぜひ一度見学にいらしてください

       

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 クローバー愛唱歌集の「夏のゆうべ」はフィンランド民謡です。

北欧は民謡の宝庫と言われるように、美しい歌が沢山あります。

 

 フィンランドの作曲家シベリウスの作品を早くから積極的に演奏していたのは、日本フィルハーモニーの指揮者の渡辺暁雄でした。「夏のゆうべ」の作詞者の渡辺忠恕は、暁雄の兄です。

共同通信の記者、ジャーナリストとして活躍した人で、北欧の生活や文化の紹介にも力を尽くしました。

 

 この兄弟の父親、渡辺忠雄はルーテル派教会の神学生で、フィンランドに留学していた時に音楽学校の学生のシーリ・ピッカネンと恋に落ち結婚し、1912年、長野県長池村(現在は岡谷市)の渡辺の生家に帰国しました。

渡辺家ではシーリに日本人としての生活態度、長男の嫁としてふさわしい振る舞いや言葉遣いなどを望みました。また、何時間も畳の上に正座しているなど、彼女の日本での生活の苦難は心身ともに厳しいものでした。

なにしろ、この当時の長野の農村では、今朝の味噌汁の実は葱にせよとか大根にしておけとか、そんなことまで全て家長が指示をするというような生活が、当たり前のこととして受け入れられていたといいます。

 

 7年間の長野での生活の後、東京の巣鴨の教会に家族4人で赴任した時には、「まるで人生の曙に出会ったような喜びを感じた」としるしています。ここでは、教会のオルガニストをし、また自由主義的な教育で知られる文化学院でピアノや声楽の教授をしています。

 

 フィンランドは美しい森と湖の国であり、またロシアなどの圧政に苦しめられてきた歴史を持つ国です。シーリの出身地のソルタヴァラはロシアとの国境地帯にあり、ここ五百年の間にフィンランド、スウェーデン、ロシア、フィンランドと支配者が変わり、現在はロシアのカレリア共和国となっています。

フィンランドには「シス」ということばがあり、古くから受け継がれる特別な精神力、いわば「フィンランド魂」が困難に立ち向かう時には発揮されるのだということです。

シーリの生涯はこの「シス」と信仰に支えられたものだったのです。

 

 夏の夕暮れ時はどんな昔の日を思い出させるのでしょうか。

 

ryu

 今週はクローバー愛唱歌集から「サリマライズ」の練習をしました。何しろクローバーでは60年前から歌っている愛唱歌ですからベテランの方はすいすい歌っていますが、新参者の私などは何度も「はて?」となります。

 

 ところで、先ずハテとなるのは、オランダ民謡というところです。ドイツ民謡やフランス民謡はよく聞きますが、オランダ民謡というのは初めてお目にかかります。

 

 調べてみますと、オランダの植民地だった南アフリカのトランスヴァール地方の歌ですね。この地に入植していたオランダ人たちが、金やダイヤモンドを求めて進出してきたイギリス軍との戦いに敗れて、故郷に残してきたサリー・マレーという女性を思って歌う曲が、原曲のようです。

大航海時代からアジア・アフリカに展開してきたオランダ東インド会社とイギリス帝国主義の争いの遺産なのでした。

驚くことには、南アフリカの言語であるアフリカーンス語のWikipediaでこの女性の写真を見ることができます

「Sarie Maré」です。

 

 さらに元をたどるとアメリカ南北戦争時代の「懐かしきテネシー」という流行歌に行き着くことになります。このアメリカ民謡風の曲では優しかった女性の名前はエリー・リーです。

 

 さらにさらに元があって「濃い霧のかかった露」というイギリス民謡にたどりつきます。ここでは女性はきれいな若い乙女となっているだけで名前はわかりません。

 

 素晴らしいことには、この歌はYouTubeでピーターピアーズとベンジャミンブリテンが演奏したものが聞けます。「はてなブログ The Foggy Foggy Dew」です。

 

 歌の中身が変わっても美しいメロディーは歌い継がれてゆくということでしょうか。

  Ryu

 2026年はクローバー混声合唱団ができて60年です。

このころの「広報めぐろ」の記事を前回ご紹介しましたが、ご好評にお答えして今日はその続編です。

 

 「広報めぐろ」を昔々へとさかのぼっていくと「合唱指導者講習会」というものが出てきます。昭和39年1月です。場所は区立青年館(東町61)。合唱曲を理解する、発声法、指揮法、合唱団の運営方法などを7回にわたって学習します。職場や地域のコーラスの中心になって活動している人が主な対象です。区がこんなことまでしたのですね。

 

 ところで、この頃の記事にはこれに限らず、戦後を強く感じさせるものが沢山あります。

「上目黒婦人学級入級者募集!(明るい家庭と楽しい生活設計)。場所は横浜銀行祐天寺支店。毎週水曜日午後1時から4時、会費はいりません。」

「生業資金の貸付、計画が具体的であること、一世帯十五万円以内、利率は日歩一銭」

「引揚者国債担保の都援護資金貸付をします。利子年六分」

「来るか赤痢の大流行―手洗い励行で防ぎましょう」

「汲取料金は汲取券で支払いましょう」

「農地改革で農地を買収され、まだ報償金を受取っていない人は至急請求して下さい。」

「米飯提供業者は食糧管理法の定めに従い登録をお忘れなく。」

「都営住宅の空き家募集の申込には米穀通帳を持参してください。」

 

 「もはや戦後ではない」と言われたのは昭和31年でしたが、世間はまだまだ戦後でした。

 ryu

先日、春らんまんの桃の里、山梨県の新府にウオーキングの会で行きました。

あいにくの、大雨、強風、注意報😰にもかかわらず、

指定席特急券買ってあり、で行ってきました。

傘は🌂壊れかっぱ着ても、びしょ濡れ😰最悪。

でも途中で雨は止み、里山は桃の花春一色、とても綺麗で素晴らし眺めでした。

江戸彼岸桜🌸ワニ塚の一本桜も、幻想的な姿でした。

 

雨にも強風にも負けずに、頑張れました。(ガンバレ)

コーラスも、演奏会に向けて、頑張れるかな〜と…

 

富江

2026年はクローバー混声合唱団ができて60年です。

 

皆さん、60年前はどんな時代だったか覚えていますか。

このころの「広報めぐろ」を見ると、「合唱講習会、6回、午後6時から9時まで、上目黒小学校、費用はテキスト代100円」と書いてあります。

講習会は6回だけだったのですね。

テキスト代って何でしょう。

合唱の講習会なので譜面のことでしょうか。

このころから参加されていた方、どんな風でしたか。

ぜひ教えてください。

 

ところで、この記事の隣には、守屋図書館の映画会「太平洋横断」(カラー)上映、どなたでも入場無料のご案内や、福祉センター主催の内職講習会のご案内もあります。

上目黒、鷹番小学校で学童保育を始めます、3年生までの80人です。保育料は無料です。住居表示の実施により唐ヶ崎町、三谷町、清水町、月光町などが無くなります、というお知らせもあります。

 

ガスタンクを訪ねてみようという記事もあります。

駒沢通りからも山手通りからもよく見えましたね。

あのガスタンク。懐かしい!!!

今は昔、昭和41年というのはこんな時代だったんですね。

 

ryu