約1年間通院と引き篭もりを経て、自分の生き方を探っていた
この間は傷病手当で凌ぎ、その後は失業手当である
どうすることできない、もはや頭も正常に働かない状態で藁にもすがる想いで色んな人に会った
叔母から職場に障がい者の子が働いている話を聞いた、この時から障がい者の働き方について考えるようになった
『障がい者の自分に出来ること』『障がい者の自分に合った生き方』何か少し光が見えた気がした
もしかしたら、自分のような人はこの世の中に沢山居て同じように困ったいるのではないか?
それならば自分のこの経験こそが生きるのではないか?
そんな風に考えて『職業訓練』で福祉コースに通う事にした
この時はコレで良かったと思う
3ヶ月だったけど色んな年代(主に年上)と一緒に学校生活みたいな感じで過ごせた
福祉についても心構えや基礎を学べた
おかげで笑うことも増え少しずつ充実した時間が出来たから
卒業後はみんな色んな仕事に就いた
多くは介護系だったが私は障害福祉を目指した
求人はあまりなかったが通勤に1時間ほどかかるa型作業所の職員に採用された
もちろん障害オープンで、自分の想いを伝えた
そこにはすでに障害者雇用で働く先輩も居た
初めての障害福祉だが、前職が激務だった上コミュニケーション能力が問われる仕事だったこともあり随分と楽に感じた
そもそも利用者も障がい者であって、仲間がたくさん居ることに安堵した
人に慣れる1ヶ月くらいはそれなりに苦労もしたし失敗したり指導されることあった
でも0からスタートした自分は割とすんなり受け入れられていたと思う
それから半年もすると現場を1人で任されるようになり、1年後にはサービス管理責任者の補助業務も率先してやった
利用者とも仲良くなり現場でも笑い合いながらもバリバリ仕事に取り組んでいた
1年半、私は気付くと主任になっていた
2年になると管理者になれるということで打診も来ていた
ここの社長は40歳のイケイケだが人情味のある人だったし、管理者も同い年で友達のような感覚で付き合っていた
そして2年が経とうとしていた頃...
ずっと手厚く支援をしていた利用者に強く感情移入してしまった
いつの間にか休みの日も常に頭の中に居た
何にも集中できず楽しめなくなってしまったのだ
また食欲不振になり5キロ痩せた
パニック発作も頻発するようになり、とうとう私は職場で倒れた
私は社長と2人で話し合い、強く引き留めて頂きながらも、限界であることを伝え退職した
退職したあとはすぐに精神科に入院となった
この時、天職すら失った絶望感が凄かった
入院中も何故こうなったのか、何故自分はいつもこうなのか、生きる資格がないのか問うた
ただ福祉の知識があったことは救いとなった
度々訪れる地獄にも蜘蛛の糸が一本伸びていることに気付いた
『障害年金』と『自分が利用者になる』こと
さらにハードルを下げて生きることにした
私が病気になったのはもう15年以上前で自力で申請することは不可能だったので社労士に頼ることにした
そして退院してから数ヶ月はまた希死念慮と、死ぬよりつらい『副作用』と闘うことになる
『アカシジア』私が飲んでいた薬にエビリファイというものがあり、楽になりたい一心でODもしていた
すると手足はガタガタ震え、身体中を虫が這いずり回るような感覚になり、部屋の中を何時間もグルグル歩き回った
ずっとうつ病のせいだと思っていたが、あまりにも辛く『もう自殺しよう』と思って最後に妻の運転で夜中に病院に行った
すると『これはアカシジアかもしれない!』と医師に言われ注射をされた
『スーッ』と身体の力が抜け楽になるのがわかったし、なんとも言えない多幸感があった
副作用が治って、何とか生きれるギリギリの状況下でa型作業所を探した
市役所の福祉課で相談員さんを紹介してもらい、相談員さんからa型作業所を紹介してもらった
そこがまた地獄の入り口であることも知らずに
続く