熊本城マラソンでボランティアをしてきました | 熊本で独立した五十路男のブログ

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熊本で2005年4月に起業してからの活動日誌。ランとがん治療とガンダムも。がんサバイバーたちに希望を!

 

今日は熊本城マラソンで初めてボランティアとして参加してきました。

 

これまでフルマラソンは20回出場していますが、ボランティア経験はゼロでしたあせる

 

今回は熊本城マラソン落選&アキレス腱断裂によるひとよし春風マラソン見送り&現在スポーツ推進委員ということもあって、このタイミングしかないということで手を上げました。

 

担当区間がちょうどアクアドームの正門側で復路のみ。

 

↑このあたりから100m先くらいまで(大会1週間前撮影)

 

朝8時に集合だったので、7時半に実家まで車で行ってそこから歩いてアクアドームを目指しました。(徒歩10分かからないくらい)

 

集合場所へ行くと誰もいなかったので、キョロキョロさがしてもそれらしい人がいない・・・アクアドームの敷地内には行ってみると赤い帽子の人たちがたくさんいて・・・「え?こんな説明なかったから違うよね」ともう一度集合場所に戻ってみると高校生らしき女の子がいたので「141区ですか?」と聞いてみると予想外の「●区ですが場所がわかりません」と逆に聞かれるというパターン。

 

マニュアルをファイルにまとめていたのですぐさま調べてみると・・・新港線沿いの途中の区間。

 

地図で見るとまったく目印が無い・・・

 

ただ、そこで熊本城マラソンを走ったことがある経験と普段このあたりを走っていることが活かされて、「ここにこれがあるはずなのであとは聞きながら向かってください。ただ距離があるから急がないと間に合わないよ」と説明しました。

 

説明し終わったタイミングで区リーダーの某高校の先生が来られて、集合場所を間違えていた高校生たち4人と警備員さんとも合流しました。ちなみに私はボランティアリーダー。

 

区リーダーと警備員さんが緑コーンと赤コーンの設置位置について確認しているのを、横からしっかり聞いていました。

 

交通規制に入った9時からそれぞれの設置作業をしてまわりました。

 

時間が近づき配置へ向かい、私は側道と住宅地との合流地点の通行止め用のコーン前に立っていました。

ちょうどその前にオールスポーツのカメラマンさんたちが陣取ったのでちょっとだけ話を聞かせてもらいました。

 

しばらくしてその住宅地の方がコーン前に住宅地側から車を止められたので、必然的に車が入ってくることがなくなったので、その位置が見えるようにしてランナーを応援できる位置まで2、3mほど移動しました。

 

元々声がすぐ枯れるタイプなので発声に気をつけながら「ファイト!」を声をかけ続けました。(途中4回ほど声が裏返りましたがあせる

 

いつもはランナーで声をかけてもらっていますが、改めて声をかけ続けるのも大変だと実感しました。

多分10時45分くらいから3時間ほど手をたたきながら「ファイト!」と言っていましたが、手は腫れてくるし、ビリビリしてくるし、飲み物飲めないし、トイレ行けないし・・・

 

ただ、走っているときにランナーの名前は分からなくても「のび太ファイト!」「シャアファイト!」「(ランニングクラブ)ファイト!」と、ランナーとして応援してもらっているときにいつもホークスのタオルをしているので「ホークスファイト!」と言われたことがあったので、それを実践してみました。

 

また声援を受けて「ありがとうございます」とか言ってもらえると嬉しいこともわかりました。

私自身「あざーす」とお礼をすることは間違っていなかったと確信しました。

 

最後のほう5時間のペースセッターが通り過ぎてからしばらくしてからは、沿道まで出てハイタッチをしました。

15分くらいで10人くらいの方とハイタッチを交わすことができたと思います。

 

ボランティアとしての責任範囲としては普段ホームとして使っている場所なので土地勘だったり、これまでスポーツ推進委員での経験を生かすことができたと思います。

 

非常にいい経験になりました。

もし今度ボランティアするなら給水所がいいなべーっだ!

 

でもランナーとして出場できる限りはランナーのほうが気が楽です。