昨年中から付き合っている彼の仕事に動きがあり、私の最寄駅から4駅ほど先に新店舗を構え彼が責任者として異動することがこのほど決定し、これを機会に一緒に生活をしようかという話になった。本人同士の話だけど。

私自身は破天荒とも言えるけど、両親は実にちゃんとしていて、むしろお堅い部類。結婚も考えない同棲など、いくらアラフォーとはいえ納得するわけはない。両親に会い、きちんと了承を得てからではないと私も義理があるし思いきれない。

もういい大人になって、親に黙ってこっそり同棲などできるはずもない。結婚する意志を伝えないと納得して貰えない。実際あろうとなかろうと(笑)

そのことを話し合うと、彼は
「勿論きちんと挨拶してからだよ。」
と言ってくれた。

はて。
両親に初対面で
「結婚するつもりだ。」
「一緒に住みたい。」
という話をするのは、ありだろうか。

先日、父にメールで
「来月、付き合っている人を紹介する機会を作って欲しいんですけど、どうですか。」
と打診したところ
「会う前に、どういう人なのか話を聞かせて欲しい。」
と返信があった。

そりゃそうだ。
つい最近まで親から一方的に心配されることはあっても、付き合っている人がいるなんて話していなかった。そもそも、本人達がこの先のことを話しだしたのがここ最近の話。

お正月に実家に寄った時、母には付き合っている人がいると軽く話してあった。ざっくり沿革を話したところ、彼の職業(正社員で飲食業)、育った家がサラリーマン家庭の我が家と違い自営業だったこと、年下であることが気になったらしく、あまりいい顔をされなかった。

それを考えると、親とのやりとりが少々憂鬱だ。


実は、過去に結婚しようとしたことがある。しようとしただけで、実際は結婚しなかったんだけど。

その時の相手は2歳下の自営業。売れかけのバンドマンだった。10年先どころか2年先がわからない商売。それこそ親が快諾するわけはないと思っていたのだけど、実際は全く問題なく。
「貰ってもらえるだけで嬉しい。」
と父は言ったもんだ。

突然
「挨拶に行きたい。」
と当時遠方に住んでいた親に連絡をし、彼はスーツも着ず、名刺代わりに自分のバンドのCDを渡すという具合だったけど、しのごの言わず
「結婚させてください。」
と言ったのを『男気がある』ととったらしい。

ま、新居まで借りたのに結婚する前に別れてますけどw


それを考えたら、今お付き合いしている人は見た目からして真面目そうで、親が前々から娘の結婚相手として望んでいるきちんと働いている正社員。お父さんは随分前に亡くなっているけど家庭も複雑ではないし、お母さんはいいお歳だけど元気。

何がひっかかるんだよw
(おっと、本音が。)

「めんどくさーい。」
ついそう言ってしまって、はっとして
「違うよ?これからのことじゃないよ?親とのやりとりが少々・・・」
と慌てて言うと、彼はいつものごとく動じることなく
「大丈夫。わかってるから。」

そうか。彼の方がプレッシャーが大きいんだよね。
「めんどくさい。」
なんて言ってたら罰が当たる。

彼は、挨拶に行く日の前に散髪に行くらしい。今のままでも決して長くはないし、清潔そうなルックスなんだけど、
「印象は大事だからね。さっぱり短髪できちんとしなきゃ。」
と言ってくれている。

はてさて、どうなることでしょう。

やっぱり数度一緒に両親と会って、それから核心をつくべきか?それとも前例と同じように、遠回しなことはせずストレートに最初から私達の意志を伝えるべきか?

まあ、この歳になれば、普段彼氏の話すらしない私がわざわざ挨拶したいと言う時点で親も察しはついていると思うんだけどね。暫くマリッジブルーならぬ『親への挨拶ブルー』なのだ。
タイトルとは逆の、まさに最悪だと思った医者はいる。

「感じが悪い」
なんていう次元の問題じゃない。

自分のことでも経験があるけど、もっと悔しいのは、難病を抱えていた兄が病院での治療に希望を持たなくなり、自力で何とかしようと独りで闘病し独りで死んでいった事実。そこに、心ない医者の対応が関係なかったとは思えない。

医者は、目の前の患者の病気のみを診ていればそれでいいのか?今その時だけですむ病気ではなく、ずっと抱えて生きて行く立場の患者についてはそれだけでは いけないのでは?日常のケアまで考えるのは仕事の管轄外だと言うのなら、それをする立場の人間(もしくは機関?)と連携するべきなのでは?

兄がまだ生きていた頃、本人には内緒で母と一緒に元主治医を訪ねたことがある。医者は、難病を抱え独りで闘っている子を思う母に、信じられない言葉をぶつけた。母はショック受けて悩み、どうしてやったらいいかわからなくなってしまった。

兄の死後何年も経った今でも、母は自責の念にとらわれている。医者に言われたことが無関係だとは思えない。少なくとも、言われたのを気にして、兄のためになるならと歯を食いしばって遠くから見守るスタンスをとるべきか悩み続けた。その間に兄は民間療法に走り、衰弱し、独り死んでいった。

「馬鹿だった。無理矢理にでもついているべきだった。自分が彼を死なせてしまった。」
そう嘆く母に、かける言葉は見つからない。


自分でも、かかった医者の対応のせいで酷い目に遭ったことがある。それはまたADHD関連の話なので、別の機会にちゃんと整理して書こうと思う。
インターネットを使って自分がどこにでもアクセス出来る状態。それは、すなわち自分に対してもどこからでもアクセスできてしまうということ。

今日これを書いているのは、
「いつ自分のデスクトップをスクリーンショットとられて画像をアップされているかわからないんだぞ。」
という安全面の極端な話ではない。(そこはもっとちゃんと説明が必要だから、今度ね。)

Twitterやblog、閲覧するのに制約がない場合、全世界に対してオープン。
それ、ちゃんと意識してますか?

ってこと。

いつ誰が見てるかわからないのよ。

特定の人間の誹謗中傷をしたり、ほらを吹いたりするのは、狙いと状況を判断出来て自分で納得してやってね。それと、行動範囲など具体的に書きすぎると、リアルで危ないことになっても文句言えないんだよ。自衛しなされ。

ま、ぶっちゃけそれをやってほくそ笑んでいるつもりが、実は自らを危険に晒している・貶めているというケースを目の当たりにしてる事実。ここ数年でポピュラーになりつつあるblogサービスをお気軽に利用して、危機感がまるでない人もたくさんいるとは思うので、書いておいた。

道具や手段は上手に使いましょ。